2014年11月1日土曜日

ももとせまでの月影を見ん

ホールインワン 

10月26日、兵庫県三木市のマスターズGCで行われた国内女子ツアー(2014年NOBUTA GROUP マスターズGCレディース)の最終日、吉田弓美子選手は17番ホールの第1打を打った瞬間、「入れー!」と大声で叫んだ。めったに見ることがないふるまいであったが、ボールはカップの1m手前でワンバウンドし、次の瞬間なんと本当に入った。周囲は騒然となり、吉田選手もはじけたように狂喜した。
このとき、解説の岡本綾子氏が絶妙のコメントを発した。興奮して「コトダマだぁ!」と言ったのである。
言霊(ことだま)、日本人のはるかな先祖から受け継いだ古い用語であるが、口に発した言葉には霊力が宿るという、まさしくその名にふさわしい出来事であった。
まだ文字を使用する以前、人々は共同して何かを作り上げる際、まずは言葉を交わしてするべきことを確認しながら作業にあたったはずである。
何もない状態から始まって、言葉として発したこと(目に見えない空気の振動)が、その後なんらか物質的な形を伴って立ち現れることになる。
口から発した言(こと)と実現した事(こと)が照応するわけで、このようなことから言霊(ことだま)という概念が生まれることになったのかもしれない。


ももとせまでの月影を見ん      

縁起のよいもの、よくないもの、さまざまな言霊があったはずだが、日本人は勤めて言霊からよい効果を引き出そうとしていたように思う。
平安時代の歴史物語の「大鏡」には次のようなくだりがある。
 この(醍醐天皇の)御時ぞかし、村上(天皇)か朱雀院かの生まれおわしましたる御五十日の餅、殿上に出させたまへるに、伊衡の中将の和歌つかうまつりたまへるは
 とて、覚ゆめる
  ひととせに こよいかぞふる 今よりは ももとせまでの月影を見む
とよむぞかし。 御返し、帝のしおはしましけむかたじけなさよ

  いわひつる言霊(ことだま)ならば ももとせの後もつきせぬ月をこそ見め
御集など見たまふるこそ、いとなまめかしう、かくようのかたさへおはしましける。
醍醐天皇の皇子が生まれて50日めのお祝いのとき、藤原伊衡が生まれたばかりの赤児になったつもりで、今から100歳まで生きてやるぞ、という決意の和歌を進呈したところが、帝は、どうせお祝いのまじないならば、100歳を超えてさらに生きてみようぞ、くらいの歌にしてくれ、というようにまぜっかえしたわけであろう。
天皇と重臣のあいだの、うち解けて浮かれた気分が伝わってくるような情景である。


言霊の幸ふ国    

さかのぼって万葉集にも
「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」 柿本人麻呂 (3254)
「そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり」 山上憶良 (894)などの歌がある。
”言霊の幸ふ国”という自覚が古代の日本人にあった。
そしてこの感覚が、ところどころ、いまだ日本に残っている。 たとえば結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものと解釈されている。
また、どぎつい言葉を意識的に避け、重大な犯罪でも「世間をお騒がせして申し訳ない」などというような抑制的な物言いになるのもそのせいかもしれない。


文霊と諱    

一方、文字における言霊(ことだま)ということも当然のことながらあるわけで、漢字に関しても、もともと呪術的な目的があったというのが白川静氏や他の研究者の着目するところであった。
言霊の意味を、口に出して発声するところから生ずると限定してしまえば、これに対して漢字などの文字の呪術性は「文霊」(ぶんだま)と呼ぶべきであろうか。
中国人は正月など赤い紙に嘉祥を意味する文字を書いて幸運を祈願する風習があるが、他方歴史的には、呪いにかけられないように本名である諱は秘密にして、通常は仮の名前(通称、俗名、字)をつかう、という習慣があるのも文霊思想の影響といわれる。
日本語では諱を「いみな」(忌み名)というのは、他者の本名を使うことを避けるということからくるのであろう。

そこでさらに思い出させるのは「犯諱」の禁制だ。君主は臣下に対して生殺与奪の権利を有するが、それゆえに呪術をおそれ、その対処として出てきたのが、自分の諱(の字)の国内での使用を一切禁ずるこの制度であると思われる。
王が普遍的な文字を諱にしてしまうと、以後国民が使用できないことによる障害が広がるから、王の諱は、普通は使われない、判りにくい文字が選ばれる。

犯諱の禁は今はないが、歴史を学ぼうという人間は王の本名を覚えようとすると判りにくい文字に苦労することになる。歴史の勉強がつまらなくなるひとつの原因になっている可能性がある。
「犯諱の禁」はある時代以降、中国でも朝鮮でも厳重に守られたが、日本では原則的になかった。
日本の歴史上の支配者の名前は(多音節であることもあり)わかりやすい。日本人は歴史を語る点において中国人や韓国人にくらべて得意だし、好きなのではないだろうか。

文霊にくらべて、日本の言霊は音声が響きわたり、基本的に明るい気分がする。