2026年7月11日土曜日

女性天皇を迎えてこその日本

皇室典範改正に関心が高まっていますが、この際、女性天皇を待望する論を述べさせていただきます。同時に、頻繁に聞かれる男系固執の論には歴史認識における錯誤があるのではないかと疑います。

 

 天皇の系譜が長く続いてきたことを日本の特徴の一つとして誇りに思うことがありますが、さらにもう一つ、過去何人もの女性天皇を輩出してきたことが古代の日本の大きな特徴であると考えます。

古代から世界中、いたるところに王がいて、男優位の伝統社会であったので、ほとんどが男性であったのですが、その中で、日本では同じく男優位の伝統社会とはいえ、女性の王の数の多さは目立ちます。とくに東アジア(と限定する必要はないのですが)の中では例外的な存在であったと思います。

 ではこの二つの特徴はなにか関連があるのでしょうか?無いのでしょうか?

「ある。」というのがここで述べる主題のひとつです。その前に天皇の系譜が長く続いてきたことの他の理由をあげてみるならば、列島である日本は外部と海で隔てられていて大規模な侵略をうけるリスクが小さかった。また、数百年かの歴史をもつ店や組織が多くあるように日本には一度成立した組織や仕組みを長く続けようとする傾向を持っている、などがあると思われます。そして女性天皇の存在です。

 

 一、宦官の制の拒否

女性天皇を輩出するとどうなるか、といえば、まず、東アジアの宮廷に特徴的な宦官の制から遠くなります。宦官の制は中国発祥で捕虜や被征服民族の人間を傷つけて一部の機能を奪い、使役したことが起源ではないかとされています。男性機能を失わせた男達に宮中の様々な仕事をさせたのは、皇帝の子を産む女たちの周りを宦官で囲み外部との接触を断ち、彼女たちが皇帝以外の男の遺伝子を宿す危険を避けることが主眼でした。王の女が子供を産んだとして、それが本当に王の子かどうか不確実性が残るからです。

 ところが女性の王であれば、その必要はありません。女性の王の存在は宦官の制と本質的に相性が悪いことは自明でしょう。

 宦官の制という文化は中国のみならず、周辺の諸国にも及びました。朝鮮、ベトナム、遼、金、西夏などにも移植されました。北方の異民族が黄河流域や揚子江流域に勢力を広げ、新しい征服王朝を築くという歴史の繰り返しがあったものの、結局は宦官の制を導入することになりました。宦官たちは皇帝とその家族、皇帝の女たちの身の回りの世話にとどまらず、衣食住のための労働、事務・管理的な仕事、皇帝の密使なども務め、程度の差はあれど外交や情報機関、軍事にも関与しました。宮廷の文化の実質的な担い手は実はかれらでした。宦官の制のもとでは宮中の女性はしたがって、「王の女」という役割を逸脱することは許されず、その必要もなく、外界との行き来は厳禁とされ、いわば尼僧修道院、いや女刑務所のような形態であったのです。

20世紀の辛亥革命で中国の宦官の制が廃止されたとき、紫禁城には万を超える宦官たちがいました。つまり皇帝とその家族、そして消費生活しかできない「王の女」たち、これら一握りのひとびとは宦官の海にポツンと浮かんで世間から隔絶されたような存在でありました。王宮は極めて閉鎖的であり王と民衆との隔たりは絶望的なほど大きかったわけです。

そうなると、王の一族の運命に対する一般の関心も共感も薄く小さくなろうというものです。

 

 さて、例外的な形態であったのが日本で、宮廷内の女性の役割も天と地ほどに違っていました。江戸時代の大奥が分り易いのですが、御殿勤めのお女中の役割は御台さま(正室)の補佐、将軍家の子女の扶育が主要なもので、「忠義」という、家臣団と共通の意識で勤めていました。中国であれば宦官たちが担っていた、生活文化や年中行事の担い手でもあり、事務能力や高い教養が求められる職場でした。一部に「将軍の女とその見習い」もいましたが10人か20人程度で大多数は城外との行き来も可能な職業婦人であり、家庭持ちの通いの女性もいました。さかのぼれば平安時代の紫式部や清少納言たちも一度結婚生活を経た後で、宮中に出仕し、他の殿上人たちとも普通にやり取りしていたわけで、宮廷と外界との風通しの良さは他の近隣諸国と全く異なっていました。

 

二、女性の識字率

また、女性天皇を輩出すると、宮廷を中心に女性の識字率が大きく高まります。魏志倭人伝には、卑弥呼の宮殿には千人の女性が仕えていると書かれています。そしてまた、当時の倭人は文字を利用して移送する品々の照合をしているとも書かれています。合わせて考えると、少なくとも卑弥呼の周りには識字能力があり、実用的な書記文化の担い手でもある女性たちが集団でいたことが分かります。他の女性の王の場合も似たような状況になったはずです。

 そしてこのことが、後の日本語の詩(和歌)など独自の国風文化の醸成に大きく貢献したと考えます。古代の男女間の求愛行動であった歌垣が書記文化のなかに贈答歌として定着し、万葉集や古今集の重要な柱となったのも、女性側の識字率がそれなりに高かったおかげであったでしょう。

 特に、(漢詩に対する)和歌の意義を主張(国風文学の意識的スタート)した古今集真名序を見れば、「(スサノオノミコトから)始めて三十一字の詠あり、今の反歌(かえしうた)のおこりなり、その後天神の孫、海童の女といえども和歌をもちて情を通ぜずといふことなし」という部分があるように、身分を超えて感情を伝え合うことができる和歌の力が自覚されていました。その後も宮中や周囲の女性たちは、いろいろな日記文学・物語など多様な日本文学の少なくない部分を担っていたわけですが、それらも元を糺せば日本の特徴である女性天皇の輩出という歴史にゆきあたります。

 

三、王朝が途絶えなかった理由

これまでのところを改めてまとめると

a、女性天皇の輩出と活躍

b、書記文化を担える女官たちの出現

c、宦官の制の拒否

d、後世に続く多様な国風文化の成立

e、職業婦人たちの活動の舞台となる王宮

f、風通しのある宮廷、王家と民衆との間の垣根が相対的に低くなる

g、書記文化が厚みをまし、物語の共有性が高まる

h、王家とその文化が長命化する

といった、以下の図のような因果関係を推認できると思います。


最後のほうの、g、h、あたりの書記文化の厚みについてさらに述べると、一般に新しく王朝が建てられる時には、有能で勢いのある頭目が前の王朝を冷酷に滅ぼし、その後その子孫たちが都合の良いように事実を編集し、新たな伝承とします。しまいには「自分たちが前王朝を弑したのではなく、天が彼らを滅ぼしたのだ、そう思え」となります(これを勧善懲悪史観といいます)。

 書記文化が無いか、薄ければ後世の歴史の改ざんは容易であり、中国・夏の桀王や殷の紂王の伝説が新しい支配層によってつくられました。しかし、書記文化が発達し、記録が豊富化すると改ざんは簡単な作業とはならなくなります。関係する各所の膨大な史料を全部書き換えることは不可能と思われるからです。現代のブロックチェーン技術のようなものです。時代が下るにつれ、桀王や紂王のような暴君の物語はなくなりました。

 つまり、書記文化が厚みを増し、史実の記録が大規模になると、王朝の全面的な入れ替えに対する心理的障壁が高くなります。王朝とその文化が長命化することになります。

 

四、男系天皇信仰への疑問

 現在、日本の天皇は代々例外なく男系の天皇の系譜が続いていて。奇跡的に貴重なことだ、男系の天皇を維持し続けなければ、皇統の存続が脅かされる。などの論を述べる人がいます。

 しかし、このような論には違和感を覚えざるを得ません。例えば、奈良時代、歴代の天皇は天武天皇の血筋ですが、末期の光仁天皇は天智天皇の子孫(孫)です。他に文室大市など天武天皇の男系子孫は少なからずいた(天智天皇も天武天皇も息子だけで10人近くいました)はずなのに、なぜ彼だったのか、実はかれは先王である(女性の)称徳天皇の妹の井上(いかみ)内親王の配偶者であり、二人の間には他部(おさべ)親王という男児がいました。62歳という史上最高齢で光仁天皇が皇位についたのは“他部親王の即位までのつなぎ”という理屈しか考えられないというのが定説です。奈良時代は天武天皇の子孫という要素よりも持統天皇の子孫であるかどうかが問題であったようにみえます。そうなると、男系であるとか女系であるとかはかなり曖昧ではないでしょうか。

 さらに、これに先立つ宇佐八幡神託事件というものも興味深いものです。豪族弓削氏出身の僧、道鏡を称徳帝の次の天皇にするのがよいという宇佐八幡の神宣の真偽を朝廷が問題としてとりあげたものですが、男系子孫の皇族から選ばなければならないというのが鉄則であったなら、そもそもこのような神託が真面目に取り上げられるのがおかしいのではないでしょうか。いろいろ事実をみていくと、皇位継承のパターンは多様であったと思います。

 昔の人は変化に富んだ発想があったのに、現代の人々のほうが「万世一系」とか「男系固守」とか発想が狭いと思われます。男系天皇の連続性といっても、もともと長期の王朝であれば、先祖は天皇家にさかのぼる人間が大勢いるのがあたりまえで、たまたま男系天皇が続いて来たようにみえるといったものではないでしょうか。

 男系天皇の系譜が王朝の長命化にとって重要であったのか、どのように日本らしさと関連するのか、これまでスッキリとした説明がなされてきたとは見えません。

 別に、長期の王朝の理由として、「権威と権力を分離するという知恵がよかった」とか、「ひたすら祈り続ける存在であったことがよかった」などと語る人もいますが、これは一種の結果論であるように思えます。

 天皇の制が長きにおよぶにつれ、時代が移り、実権を失ってしまうなどの変化に対応せざるを得ず、機能を限定されながらもそれでも存続してきた歴史だったのではないでしょうか。権力と権威の分離というのは長命化の原因ではなく、長命化の結果のひとつと思われます。先の説は原因と結果を取り違えでいると考えるべきではないでしょうか。

 さて、江戸時代にも二人の女性天皇の出現をみた日本ですが明治の皇室典範において女性が天皇になることは明確に否定されました。なぜそうなったのでしょうか。細かな理由はいろいろあったのでしょうが基本、欧化思想の影響と考えます。なぜならば、アジア初の近代憲法とされる明治憲法はプロイセン憲法を参考にし、その影響をうけているというのが広く知られている事実であり、総理大臣兼宮内大臣の伊藤博文が主導した明治の皇室典範もまた(女性の王位継承を認めない)プロイセンの制度を参考にしたと考えられます。

 歴史学者三谷博氏が指摘するように、明治維新の「維新」とは「御一新(ごいっしん)」の当て字でありましたが、明治政府は可能な限りすべてを西洋化しようとしました。この欧化運動を経た結果として現在のわれわれがいるわけで、当時の、西洋に倣ったこと自体の良し悪しをいまさら問題にしてもしょうがありません。

 しかし長い日本の歴史からいえばつい最近のことがらであるとはいえ、100年・150年を経ると、西洋由来のことがらも日本古来ゆかりのことがらも頭の中で混在融合してしまい、見極めをミスる現象がときおり発生します。

 例えば、「戦前の男尊女卑的な家長制度は江戸時代以来の儒教の影響だ」と長らく常識のように語られてきましたが、いろいろ調べると、実はフランス民法などヨーロッパの家父長制の影響のためであったことが判ってきました。男尊女卑は江戸時代よりも明治時代のほうがより強化されたわけです。

 このような錯覚、近代になってから受けたヨーロッパからの影響を知らず知らずののうちに日本の旧来のものとして受け入れてしまう感性上の錯覚が皇位継承をめぐっても起こっているように思えます。この錯覚の持ち主を仮に「プロイセン頭」と呼ぶとして、そのプロイセン頭で過去の歴史を振り返ってみて、「男系の天皇の系譜がこんなに続いて来たんだ、これが日本なのだ」という発見にいたり、これをとても価値あるものと考え、やおら固守しようとしているのではないでしょうか。一種の歴史認識における錯視になりますが、そうと考えなければ、「世界最古の長編小説(源氏物語)を生み出した日本という国をなぜ誇りに思わないのか!」と檄をとばしながら、その一方で「女性天皇は女系天皇につながるから断固反対」などと(因果関係を考えれば)支離滅裂な言動を展開する人々のことを説明できないのではないでしょうか。

 何が日本の特徴で、何が西洋の影響なのか、改めて冷静に考え直す必要があります。

 とりあえず、ひとこと言わせてもらいます。「女性天皇を拒むような日本は本物の日本といえるのか」と。 

2019年9月22日日曜日

古谷有希子 の主張は不十分である__その5


だが、そうした意識の薄かった若年層にまで歴史修正主義的な思考が広がり、嫌韓が蔓延している背景には、「日本などどうでもいいと思っている韓国」「理不尽に怒っている韓国人」に対する憤りと、いつまでも怒っている韓国に付き合うことに対する疲労感がある。


民主化運動の成功が韓国人の日本観を歪めている

韓国は民主化運動をはじめ、民衆の力で政治を、社会を、変えてきた

自らも民衆運動に参画し、進歩派として人権問題や労働問題で戦ってきた経験のある文大統領の就任自体、国民の力で朴政権に対して「正義」を追求した結果である。

民衆が正義を追求し、社会運動を通じて社会や政治を変えてきた韓国では、人権問題や植民地問題を正面から受け止め、変革させようとしない日本は、停滞し、遅れているように映る。 冷静に、歴史的知見を加えれば、朝鮮時代の党派抗争の遺伝子をもった種子が発芽した、と考える方が適切だろう。
しかし、そうした韓国人の考え方、態度自体が日本では理不尽かつ感情的に映る。
なぜなら、日本人の多くは民衆の力で社会を変えることを是とは考えていないし、その必要性も感じていないからだ。

日本では、全共闘闘争の社会的記憶が、連合赤軍などの内ゲバ・(総括という名の)リンチ殺人と結合しており、民衆蜂起や「革命」なるものへの期待、憧憬が決定的に損なわれてしまっている。その過程を古谷は無視している。

日本には民主化運動の成功経験が無いが、そもそも日本で重視されるのは、民衆の力で問題を解決することよりも、適正な法手続きによって改善を図ることである。

民衆の力によって社会を変えるべきだという感覚が薄い日本人には、従来の法的合意を覆すような韓国の態度が全く理解ができない。

「正義」を求めてデモやストを行う韓国民の姿も、日韓両国間の数十年来の法的合意を反故にしてまで、そうした民衆の要求を政治や法に反映させようとする韓国司法や韓国政府の姿も、日本人の目には感情的かつ、暴力的にさえ映るのである。

日本人の多くが、個人の権利より義務を優先し、民衆による社会変革よりも法に従うことを優先する。

そして、司法が「国家統治の基本に関する高度な政治性」に関する判断を避けることが恒常化している。

だから、多くの日本人にとっては、民衆が社会変革を求めて運動を起こすことも理解しがたいし、そうした社会の変革を受けて、韓国政府・司法が対日関係で法解釈を変えていくことも理解しがたい。

こうした日本人の考え方を「三権分立を理解していない」「個人の権利というものを理解していない」「民主主義を理解してない」「民主社会が発展していない」と批判することは簡単だが、日本人と韓国人では社会との距離の取り方がそもそも異なるのだと考えて、妥協点を見つけるほうが生産的であろう。
 

隣人を愛することは難しい

ここまで見てきたように、日韓両国にはどうにも解決しがたい二つの違いがある。
まず、歴史を記憶する韓国人と、歴史を忘れる日本人。

そして、民衆の力で社会変革をさせることに意義を見出す韓国人と、法的手続きによって問題解決を図ることに意義を見出す日本人。
この二つの相違点について日韓両国の民衆が妥協することができなければ、日韓関係が根本的に改善することは無いだろう。

現実に韓国で起こっていることは、党派的な権力闘争であり、朝鮮時代に繰り返えされた「換局」(権力の行ったり来たり)である。検察権力をどちらが握るか、などという点はよく似ている。韓国人はこれを美化して「民衆の力で社会変革」と自己洗脳しているのだ。

問題の根源的な解決のためには、現代韓国の文化・文明の出生の秘密を知ることが必要であろう。
だが、日本に住む韓国人、韓国に住む日本人はこれをやってのけている。

理不尽だと思うこと、おかしいと思うことがあれば「正義」を求めて妥協することなく相手を変えようとするのでも、「自分は知らない」と相手の主張を無視するのでもなく、自分たちが妥協できるギリギリのところで相手の主張を理解し、譲歩しあう。

隣人というのは、どんなに嫌いな相手であっても関わらずに生きていくことはできないが、隣に住んでいるからこそ、ちょっとした騒音やごみの捨て方などで、イライラしてしまう。

だが、ちょっとした騒音やごみの捨て方がおかしいことは、隣人と喧嘩をして完全に決裂し、その家での生活そのものをさらに不便かつ不快にさせるほどの価値があるものなのかどうか、日本人も韓国人もよく考えてみるべきだろう。

古谷有希子 の主張は不十分である__その4


だが、数十年来日韓両国が共有してきた法解釈を韓国司法が変えたという事実も、それを韓国政府が野放しにしている状況も、日本政府にとっては受け入れがたい論理の飛躍である。

日韓基本条約の根底にある植民地支配(韓国併合)に対する法的解釈を覆す、ということは現在の日韓関係の根底を覆す、ということである。

だからこそ、日本側は韓国政府が大法院判決に対して何もしないことを、「国際法に照らしあり得ない判断」として批判しているのだ。

 

だが、韓国内では日本での受け止められ方が単純化されて伝えられ、日本は歴史問題の報復をしていると受け止められてしまっている。
韓国で日本の今回の措置が歴史問題に対する報復と受け止められるのは、韓国が歴史を非常に重視するからに他ならない。「重視」の意味が問題なのだ。歴史的過去への介入であり、一種の洗脳となっている 。韓国人は自戒するべきことがあるはずだ。

しかし、日本はされたことにせよ、したことにせよ、歴史を重く受け止めないし、記憶しない。この認識も間違っている。日本人は歴史の中に存在する「不条理」というものをみつめ、あれこれの「不条理」を包摂しうる存在として自分たち・人間の主体性というものを意識する。日本人の方がより慎重に、より正確に歴史と向き合っている。

たとえば、対米国に関しても、両国民の態度の違いは明らかだ。

韓国国民の対米感情は常に良いわけではなく、在韓米軍が問題を起こすたびに対米感情が悪化する。

そうした国民感情を受けて、韓国政府は地位協定改定のために尽力し続け、今では日米地位協定の日本よりも韓米地位協定の韓国の方が米国に対して優位にある。

一方、日本の場合、在日米軍が問題を起こしても対米感情は悪化しないし、日米地位協定は成立以来、一度も見直しが行われていない。

これが韓国であったらば、どんな理由があったとしても、自国に原爆を投下し数十万人の命を奪った米国を手放しで迎え入れ、どんな理不尽な要求でも呑むということをするとは考えにくい。

したことにせよされたことにせよ歴史を忘れていく日本人にとって、歴史の記憶のための現在の関係を毀損することもいとわない韓国の態度は、日本などどうでもいいと思っていると映る。

日本国内には根強い在日韓国人差別があるし、植民地主義的な「韓国併合は韓国の発展を助けた」という思考をする人も、特に年配層には多い。助けたのではない、自らを手本として、朝鮮社会そのものを作り替えてしまったのだ。これが根本的な問題としてある!

古谷有希子 の主張は不十分である__その3


韓国の人々は、日本の政府要人が慰安婦問題を否定したり、靖国神社に参拝するなどの歴史修正主義的言動を繰り返すことこそ両国関係を不安定にする根源であると考えているようだが、歴史修正主義的思想は日本人全体に広がりつつある。
 今では日本の政治家が歴史修正主義的な発言をしても、厳しく批判する主要メディアなど皆無だし、日本の世論もそうした政治家の発言を大々的に問題視しない。

歴史を記憶しない日本人
信じがたいことだが、終戦記念日はおろか広島・長崎の原爆記念日を知らない日本人も若年世代には少なくない。
たとえば、NHKが実施した18歳と19歳に対する世論調査では14%が終戦記念日を知らない、と回答した。

韓国では日本の歴史の授業が第二次世界大戦や韓国の植民地化について教えていないと信じている人も少なくないようだが、そんなことはない。
そもそも日本の教科書検定は政府による検閲ではなく、客観的に学術上必要な内容が含まれているかどうかの審査なので、現政権の思想に合致しない内容だと合格しない、ということはない。

確かに韓国の歴史の授業における植民地期の取り扱いと比べれば、日本で韓国の植民地化について教える分量は少ないが、第二次世界大戦全体ではそれなりに厚みのある内容を学ぶ。
何より、毎年夏には第二次世界大戦に関するドラマやドキュメンタリーが流れ、原爆記念日に関するニュースや戦争の悲惨さを伝えるドキュメンタリーなども放映される。

だが日本人は、自分たちがしたことも、自分たちがされたことも含めて、歴史を忘れていく。

そして、最近ではそうした戦争に関するドキュメンタリーやドラマもどんどん減っている。

世代を超えて歴史を記憶し続ける韓国人と、歴史を忘れていく日本人では理解しあえないのも当然だ。

歴史を記憶し続ける韓国人は、祖先たちの受けた仕打ちを自分たちの記憶として内面化し、「日本の歴史修正主義と戦う」自国に自分たちを重ねる。

歴史を忘れていく日本人は、日本は国家としての対韓賠償は済ませたという事実だけを今のニュースで知り、「解決済みの問題で韓国に理不尽に責められている」自国に自分たちを重ねる。

経済的損失に対する経済的報復を、歴史問題への報復と捉えてしまう韓国

韓国では今回の日本の措置は歴史問題に関する報復と捉えらえているが、日本政府にとって今回の措置は、歴史問題に関する報復というよりも、徴用工問題における大法院判決によって日本企業の資産が差し押さえられている経済的損失に対する経済的報復という側面が強い。

そもそも、1965年に締結された日韓請求権協定では、両国間の請求権に関する問題は「完全かつ最終的に解決されたこととなる」、「いかなる主張もすることができない」と明記されている。

しかも、請求権協定は日韓基本条約で、1910年の韓国併合が「もはや無効」であることが確認されたうえで締結されている。

日韓両国の政府・司法は数十年間、この立場を共有してきた。

だが、盧武鉉政権下の2005年、韓国政府は請求権協定について「慰安婦」「被爆者」「在サハリン韓国人」について、個人請求権は放棄されていないとして、従来の判断を覆した。

一方で、韓国政府は徴用工について「他の3つとは一緒にできない」「法的には解決済み」としていた。しかも、この決定には当時、廬武鉉政権の高官であった文大統領も関わっている。

それが2018年の大法院判決では、日韓併合は「もはや無効である」というのではなく、「そもそも無効だった」という、韓国内では広く受け止められている主張を採用して、元徴用工への慰謝料請求を認めた。

「もはや無効」と「そもそも無効」
「もはや無効」と「そもそも無効」という両者の間には大きな隔たりがある。

これは、植民地支配が当時の国際法上有効であったのか、当時の国際法上からも無効であったのか、65年に締結された日韓基本条約や請求権協定の根本を覆すほどの解釈の違いである。

つまり、韓国大法院は韓国内で広く受け入れられている植民地支配はそもそも不法だという立場に立って、請求権協定とは関係なく、不法行為の慰謝料を元「徴用工」に支払うべきだ、という論理を適用したのである。

韓国は朝鮮時代の朱子学的党派の「文法」を受け継ぎ、過去の歴史への介入をしているのだ。

これによって、彼らの言説に歪みや自己撞着が起きている。ぼやぼやしていると日本人もそれに巻き込まれていくのである。今日の各種の軋轢の大きな要因となっている。

古谷有希子 の主張は不十分である__その2

古谷氏の文章と、その中にところどころ挿入した私のコメント(紫の部分)を紹介する


日韓関係:互いを敵視してしまうのはなぜなのか
古谷有希子  | ジョージメイソン大学大学院社会学研究科博士課程

2019/9/20()
以前掲載した日韓関係に関する記事を見た韓国のタンジ日報社から、日韓関係について日本の立場を説明する記事を書いてほしいという依頼を受けて、記事を寄稿した。(韓国語原文も筆者が執筆

せっかくなので日本の読者にも読んでもらいたいと思い、ヤフーで日本語版を載せることにした。

日本語に直すにあたって日本向けに少し表現を変えている部分もあるが、ほぼ原文通りである。

(以下、記事本文)

先日、「日韓関係の悪化は長期的には、日本の敗北で終わる」という記事を日本のニュースポータルサイトに寄稿し、日本のみならず韓国の人たちからも大きな反響があった。

私は韓国の専門家でも日韓関係の専門家でもないが、韓国に関する研究に一時携わり、韓国に住んでいたこともあり、現在の日韓関係を深く憂慮している。

上述の記事では、日本政府がいくら歴史修正主義的な「歴史戦」を展開しても、成果を上げることはできないという前提で、なぜ最近の韓国が日本(日本政府、日本人)の神経を逆なでするような行為を取るのか、ということを論じた。

民主化以前と以降の韓国社会が全くの別物であり、独裁政権下で国民に内容を秘匿した状態で結ばれた日韓基本条約をそのまま受け入れることは、現在の韓国の民衆にとって心情的に納得できない部分があること、さらに近年の経済発展が韓国に自信を与え、日本と対等な交渉をしようとしていること、などを論じた

なぜ韓国政府が従来の日韓関係を傷つけるような態度を取り、韓国の人々が「反日」的な行為をするのか、日本の人々が理解できるように客観的に説明したつもりだったが、日本人読者からは「なぜ日本人であるあなたが韓国の立場で語るのか」という拒否反応が多く、たくさんの日本人から「反日的だ」と非難された。

 

最近の日本の「嫌韓」

私は米国に住んでいるので、常に日本社会や日本のメディアに触れているわけではないが、それでもわかるほど、日本の人々は恒常的に嫌韓的なメディア報道に晒され、それを内面化している。

「慰安婦」「徴用工」といった問題の存在自体を全否定するネット右翼のような極端な人たちでなくとも、慰安婦問題や徴用工問題で日本政府はもう少し柔軟な対応をすべきではないかと論じると、「すでに日韓基本条約で補償は済んでいるのだから日本は関係ない」という反応をする人は少なくない。

日韓両国とも、相手国に対する感情はマイナス傾向だ。

言論NPOの実施した第7回日韓共同世論調査によれば、約5割の日本人の回答者の約5割が韓国にマイナスの印象を持っており、その理由で最も多いのが、「歴史問題などで日本を批判し続けるから(52.1%)」である。さらに今年は「徴用工判決(15.2%)」と「レーダー照射(9%)」もマイナス印象の理由の上位であった。

同調査では約5割の韓国人も日本にマイナスの印象を持っており、その理由としては、歴史問題と領土問題(独島)が半数を超えている。とりわけ今年は「韓国を侵略した歴史を正しく反省していない」76.1%と高かった。

こうした反応を見ると、日韓関係が良くなることは今後あるのだろうか、と考えずにはいられない。

ホワイト国除外措置について日本経済産業省が実施したネット世論調査では、98%が賛成を示している。各種報道機関の実施した世論調査でも、五割から七割の回答者が今回のホワイト国除外措置を適切であると考えているという結果が出ている。

日本では韓国などどうでもいい、関わらない方がいい、という論調が台頭しつつある。

韓国では、日本の韓国ホワイト国除外を受けて、「反安部」運動が起こっているが、「嫌韓」が恒常的にあふれかえっている日本の状況は安部政権の責任ではない。

 

むしろ嫌韓的な日本の世論に後押しされているのが安部政権なのであって、安倍政権が積極的に嫌韓を扇動していると考えるのは、日本全体が嫌韓であるとは信じたくない韓国人のナイーブさの表れであろう。

 

一方の韓国でも、日本などどうでもいい、という風潮が広がっている。

日本による韓国のホワイト国除外措置を受けて、韓国も日本を貿易優遇国から除外し、さらにGSOMIA破棄を決定した。

韓国政府の対日強硬策にはGSOMIA破棄決定前に実施された世論調査で約5割の回答者が破棄を支持していたことも影響を与えたはずだ。

ここまでくると、政府レベルでも民間レベルでも両国が手放しの友好関係を築くのはかなり難しいように思われる。

たとえ一時的に友好関係を築いたとしても、日本が歴史修正主義を繰り返し、韓国が歴史問題で怒り続ける限り、両国関係の土台はいつまでも不安定だ。

日本会議が自民族中心主義的傾向が強いことは事実としても、日本人の歴史認識が韓国人よりも誤謬が大きいとはとても言えない。古谷の主張は誤っている。どちらの歴史認識がより正しいのか、という点をはっきりさせなければならない

 

古谷有希子 の主張は不十分である__その1

あちこちのサイトを巡っていたら、古谷有希子 という人の「日韓関係:互いを敵視してしまうのはなぜなのか」という文章が目にとまった。結論的には、彼女は日韓には二つの違いがあるという。

①歴史を記憶する韓国人と、歴史を忘れる日本人。
②民衆の力で社会変革をさせることに意義を見出す韓国人と、法的手続きによって問題解決を図ることに意義を見出す日本人。

ということを主張している。
このような主張は彼女に特有のものではない。同様のものを、何人かの記述の中で見た記憶がある。ある程度、韓国人のうちに、そして韓国通と自覚している日本人の一部に存在しているものなのだろう。
ところで、このような整理は妥当であろうか、本当に客観的といえるのであろうか。
このような記述は印象としては、韓国人の方が、真摯に歴史に向き合い、歴史的な知識を持ち、未来思考で進歩的な漢字を与えるかもしれない。
しかし、このような整理には問題が大きいと思う。はっきりいえば、ほぼ間違いである。このことを韓国人にもわかるように、包括的に証明するべきなのだが、どのような論理的空間を設営するべきかという課題もあり、私には時間が必要である。

とりあえず、関連することを述べる。
A 韓国人は専門的な歴史の勉強を厭う。大学受験の際の社会の受験科目で自国史を選択するものは1割もいなかった。彼らは歴史の知識が乏しい。「金春秋」というのは中国の歴史書にも日本の歴史書にも出てくる名前で、統一新羅の初代・武烈王の本名であり、慶州金氏の始祖なのだが、韓国人は「金春秋」をハングルで記しても、それが人の名であることさえわからない。
韓国の歴史教科書には漢字の固有名が大量に出てくるが、歴史を勉強するためにはまず、漢字を勉強しなければならない。そして固有名詞にはレアな漢字が頻出するから、学生の負担が大きいのだ。
では韓国人はどこから歴史的知見を得るのかといえばそれはドラマであり、雑誌の記事であり、コメンテーターの発言である。そのときどきの、癖のある、フィクションがないまぜになった言説を鵜呑みにするわけで、主体的に実証的に裏をとることなどできないのだ。
その歴史教科書の中で日本に関する記述といえば、大きなウェイトを占めるのは秀吉軍の朝鮮侵攻である。10年間ほどの出来事が近代以前の日本関連記事の半分を占める。
元寇であるとか、朝鮮の太宗・世宗父子の熱心な対日本外交や、そのさなかにおこった応永の外寇などは、ほんの申し訳程度の記述がなされる程度か、あるいは無かったりする。
歴史を選別し、自国にとって有効であると判断したものを肥大化させている。その目的は明確であって、歴史の基調を、善と悪との物語として理解し、自国の倫理的優越性を植え付けることにあるといっても過言ではない。この他、文化的優越の歴史も必要とされているようで、後世の歴史的事象と繋がらない背伸びした説明が多い。
つまり、自民族の倫理的・文化的優越性を信じ込むための道具として「歴史」は扱われている。他方、かつて日本にもそのような偏りはあったが、現在では比較的薄らいだということだ。しかし歴史好きの日本人は相当多い。
「歴史を記憶する韓国人と、歴史を忘れる日本人」という整理は分野を限定し、「歴史とは被害者と加害者の歴史である」という神話の延長上の主張にすぎない

2019年7月24日水曜日

日韓の持続的な関係を保つためには、半島の「ゾンビ」を退治する必要がある


橋下徹氏が、徴用工問題・輸出管理政策でヒートアップする両国の政治と国民感情について自説を展開していました(718日放送のAbemaTV)。


橋下氏、徴用工問題めぐる日韓の応酬に「日本と韓国も、僕と百田尚樹さんのようになればいい」

靖国参拝についての彼と百田尚樹氏のやりとりを例として、どのようにひと段落させるのが望ましいかのイメージを述べました。「プライドをかけて激しく言い合って良い。」面と向かって、さんざんに主張し、そのプロセスを実行したうえで、「そこはわかる、だけどな・・・」っていうように、互いの主張を部分的には理解し合う。その後棚上げできる部分は棚上げしたり、休戦したりできればよい、というわけです。

 かつての日中間の尖閣衝突事件のときの中国の戦術(レアアース輸出停止)と日本の対応の事例などをふまえ、今回、韓国側の対策の予測もあり、感情を昂ぶらせず冷徹な分析をベースにした、バランスのとれた見解だと思います。

つまりは、批判、罵倒、激論はいいけど、不信と憎悪を募らせずに、問題をいかに収束させるかということです。これが「本来の喧嘩の仕方」いうものなのでしょう

その主張の説得力は、百田氏や櫻井よしこ氏たちよりもずっと高いものがあります。

しかし、彼もおそらく分かっていると思いますが、けっしてそうはならない。

残念ながら、そうはならない現実がある。

個人対個人の論争では言葉をやり取りするうちに、相互理解という現象も起こりえますが、政府対政府、国対国の場合では、それは難しい。双方が理論武装し、それぞれ「正義」を称するからです。

理論武装の中身としては、法律論もあれば歴史過程への認識もあります。

橋下氏は「日韓併合と植民地支配の歴史がある以上、歴史認識などでは絶対に一致することはない」と述べています。

これまでの通念として、反日感情の源泉は日本帝国による半島支配(日帝三十六年)によって、半島人のプライドを損傷し、抑圧したことが原因であるとされてきました。この点においては彼も朝日新聞などと大差ありません(日本人として向き合わなければならない事柄のひとつです)。

このため、現代の韓国人は、自分たちは日本人よりも倫理面で優れている(逆にいえば、日本人は攻撃的であり、倫理面で韓国人に劣る)、ということをアピールしたい欲求が強い。これが反日の土壌としてある、という理解です。

ところがしかし、20176月のブログで述べたように、70年後の現在、日帝時代の体験者世代よりも、後の世代の韓国人の方がむしろ反日欲求が強いことが判っています。この認識だけは、両国の識者が共有しています。

つまり、従来の定説の理解では足りないということです。別な要素があるはずです。

ひとつには教育の問題があるでしょう。日帝時代を知らない世代は、教科書に書かれている日帝収奪論を信じて、実際に当時を生きた人々よりも、強い反日感情を持つという現象が生ずると考えられます。

しかし、日帝収奪論(日本は朝鮮の歴史的文化を破壊し、朝鮮を収奪した)ばかりではなく、日帝が朝鮮を近代化した(日本は朝鮮に多くのものをもたらした)という歴史観も韓国にはあります。問題はなぜ日帝収奪論ばかりが教科書で強調されるのか、という点にあります。(中世にさかのぼれば世宗による通信使の往来は、教科書ではほとんど触れられず、他方、秀吉による侵攻が大きくとりあげられている)。つまり偏向した教科書をつくらせている要因が、さらに別に存在していると考えるべきです。

先のブログの中で、わたしは

ここで文化の面での韓国人の自意識の問題を考えてみたい。国民的文化の歴史性、独自性、連続性についてどのような自画像を持ちうるのか、という点である。近現代はナショナリズムの時代とも言われている。そこではそれぞれのネーションが文化的な自画像を持っていることが暗黙のうちに要請されているのではないのだろうか。

と、国民文化の自意識についてふれました。そしてまた

しかし、韓国の場合はどうであろうか。江戸時代には日本からの文化的な影響を遮断すべく理論武装を徹底したが、それが裏目となって、近代化の決定的な時期に、逆に深部に至るまで日本文化を注入されてしまった。そしてこれは取り返しがきかない。いまさら朝鮮時代にもどって、成人女性の往来通行を禁忌することなどできないのである。

このような経緯があるため、現在の韓国人にとって、国民的文化の歴史性、独自性、連続性についての自画像を描くことは気楽な作業ではない。さらに、第2次大戦後しばらく日本と断絶し、反日のスタンスをとって国家をスタートしたことも困難さを増す要因であろう。現在の韓国の生活文化の中でどれが日本由来であり、どれがそうでないのかを明確にする自信は韓国人にはない。

とも書きました。国民文化に関して韓国人の自意識には脆弱性と問題性がある、とみています。つまり要約すると、

  1. 韓国の現代の文化は日本の文化の亜流、ないしは借り物の性格が大きい。
  2. しかし韓国人は絶対にその現実を受け入れることができない。その為に、日本を「戦犯国家」などと罵ることで心的バランスをとろうとする。これが見過ごされがちな反日の真の要因である。

と言えるのではないでしょうか。

ところで韓国人が「その現実を受け入れることができない」のはなぜかと考えてみると、その理由もいくつかありますが、15世紀に発生し、江戸時代まで続いていた、「日本=夷狄(野蛮人)」という半島の俗説が影響を与えている可能性があります。

朝鮮の文人はことある毎に、自らを文明とし日本を倭賊、蛮酋など(非文明)として誹謗してきましたが、そのなごりが今も残っています。昔の朝鮮は江戸時代の日本より「進的」な文明をもっていたと根拠なく信じたり、ウリジナルと呼ばれる、文化起源を詐称するという現象などです。

このような日本夷狄視は、大昔からあった、とか秀吉の朝鮮出兵によって生じたと信じられていましたが、ほんとうのところは、朝鮮出兵より150年前、通信使の歴史の中で発生した、”書記文明の衝突”によって生じたと考えるべきです。

それは日本の影響によって生まれたハングル(諺文)に対する恐れと反発という種から発生した想像の作物というべきものでした。

数百年後の現在、ハングル自体に対する半島人の評価はすっかり反転し、近代の要請としての国民的文化のアイコンとして重要な地位を占めるに至っています。十五世紀に反対上疏文をまとめ世宗に反抗した崔万里たちは現代の半島人の意識の中では国民的敵役になっています。したがって、本当であれば「日本夷狄論」は半島においてもすでに死滅していななければならないのですが、そうなっていません。日本を「倭賊、蛮酋」とみなす言説の期間が長く続いてきたため、そしてその原因が偽装されてきたため「日本夷狄論」の真の起源がどこにあったのかということが忘れ去られてしまったからです。

つまり、元に戻ると

なぜ韓国人(朝鮮人)が国民文化の現実を受け入れることができないかといえば、半島にはゾンビが巣くっていて、受け入れを阻害するからだ。そのゾンビとは15世紀の朝鮮通信使の時代に起こった「書記文明の衝突」により生じた、日本を野蛮とみなすという悪癖であり、代々受け継がれてきた社会的遺伝子である、

という結論にいたるわけです。

いま、このような状況においてこそ、このゾンビを退治したいものです。