2015年9月12日土曜日

かな文字への疑問

日本の表音文字であるかな文字に対して以前から疑問に思っていたことがある。
どうして二種類の文字があるのか?_という点だ。 学習する側の負担などいろいろの面で一種類の文字セットしかないほうが合理的なはずだ。
にもかかわらず、日本には二種類の文字セットが昔からある。 これは謎だ。
これまで、この点を説明してくれる本を読みたいと思っていたがまだめぐりあっていない。

中世のころ、カタカナは吉備真備が造り、ひらかなは弘法大師が作ったと思われていたという。いずれも事実とちがう。 どちらが先にできたのか? いつだれが確定させたのか? 
どちらか一方に統一しようというモーメントが働かなかったのであろうか。
みな明らかになっていないようだ。

個人的には、ひらかなは宮中の女官たちが愛しこだわった文字という気がする。紀貫之が土佐日記のあたまで「女もしてみんとてするなり」 と書いたのは、やまと言葉をひらかなを使って書くための弁明であり、一般にこの文字は女性が使うものだという認識を前提にしている。

その女性というのは基本的に宮中の女性か高級貴族の家族だろう。必要な紙はまだまだ安いものではなかったからだ。 そして紙に書かれたものは読んでもらわなければならない。 
書いた文字をすぐ別の人間が読んで、その書き振りを鑑賞してもらうなかで、定形のかたちがうまれてきたのではないのだろうか。

そのようなことを想像すると、ひらかなは宮中の女官たちによって育まれた文字であるという結論になる。

カタカナは読む側にとってわかり易く、ひらかなは書いて楽しいという性格をもっていると思う。
そして、書かれる媒体が実は重要な条件となると思う。

文字を記すための媒体しては長く木簡が使われてきた。 しかし主要な媒体が木簡・竹簡しかなかったならば勢いをつけて奔放に筆を走らせるひらかなは生まれなかったであろう。

紙の質的向上とその普及の時期、それを直ちに活用する、各社会階層の書記文化の成長、それらのタイミングの重なったときに新しい文字が生まれた、そんな気がする。