2019年7月24日水曜日

日韓の持続的な関係を保つためには、半島の「ゾンビ」を退治する必要がある


橋下徹氏が、徴用工問題・輸出管理政策でヒートアップする両国の政治と国民感情について自説を展開していました(718日放送のAbemaTV)。


橋下氏、徴用工問題めぐる日韓の応酬に「日本と韓国も、僕と百田尚樹さんのようになればいい」

靖国参拝についての彼と百田尚樹氏のやりとりを例として、どのようにひと段落させるのが望ましいかのイメージを述べました。「プライドをかけて激しく言い合って良い。」面と向かって、さんざんに主張し、そのプロセスを実行したうえで、「そこはわかる、だけどな・・・」っていうように、互いの主張を部分的には理解し合う。その後棚上げできる部分は棚上げしたり、休戦したりできればよい、というわけです。

 かつての日中間の尖閣衝突事件のときの中国の戦術(レアアース輸出停止)と日本の対応の事例などをふまえ、今回、韓国側の対策の予測もあり、感情を昂ぶらせず冷徹な分析をベースにした、バランスのとれた見解だと思います。

つまりは、批判、罵倒、激論はいいけど、不信と憎悪を募らせずに、問題をいかに収束させるかということです。これが「本来の喧嘩の仕方」いうものなのでしょう

その主張の説得力は、百田氏や櫻井よしこ氏たちよりもずっと高いものがあります。

しかし、彼もおそらく分かっていると思いますが、けっしてそうはならない。

残念ながら、そうはならない現実がある。

個人対個人の論争では言葉をやり取りするうちに、相互理解という現象も起こりえますが、政府対政府、国対国の場合では、それは難しい。双方が理論武装し、それぞれ「正義」を称するからです。

理論武装の中身としては、法律論もあれば歴史過程への認識もあります。

橋下氏は「日韓併合と植民地支配の歴史がある以上、歴史認識などでは絶対に一致することはない」と述べています。

これまでの通念として、反日感情の源泉は日本帝国による半島支配(日帝三十六年)によって、半島人のプライドを損傷し、抑圧したことが原因であるとされてきました。この点においては彼も朝日新聞などと大差ありません(日本人として向き合わなければならない事柄のひとつです)。

このため、現代の韓国人は、自分たちは日本人よりも倫理面で優れている(逆にいえば、日本人は攻撃的であり、倫理面で韓国人に劣る)、ということをアピールしたい欲求が強い。これが反日の土壌としてある、という理解です。

ところがしかし、20176月のブログで述べたように、70年後の現在、日帝時代の体験者世代よりも、後の世代の韓国人の方がむしろ反日欲求が強いことが判っています。この認識だけは、両国の識者が共有しています。

つまり、従来の定説の理解では足りないということです。別な要素があるはずです。

ひとつには教育の問題があるでしょう。日帝時代を知らない世代は、教科書に書かれている日帝収奪論を信じて、実際に当時を生きた人々よりも、強い反日感情を持つという現象が生ずると考えられます。

しかし、日帝収奪論(日本は朝鮮の歴史的文化を破壊し、朝鮮を収奪した)ばかりではなく、日帝が朝鮮を近代化した(日本は朝鮮に多くのものをもたらした)という歴史観も韓国にはあります。問題はなぜ日帝収奪論ばかりが教科書で強調されるのか、という点にあります。(中世にさかのぼれば世宗による通信使の往来は、教科書ではほとんど触れられず、他方、秀吉による侵攻が大きくとりあげられている)。つまり偏向した教科書をつくらせている要因が、さらに別に存在していると考えるべきです。

先のブログの中で、わたしは

ここで文化の面での韓国人の自意識の問題を考えてみたい。国民的文化の歴史性、独自性、連続性についてどのような自画像を持ちうるのか、という点である。近現代はナショナリズムの時代とも言われている。そこではそれぞれのネーションが文化的な自画像を持っていることが暗黙のうちに要請されているのではないのだろうか。

と、国民文化の自意識についてふれました。そしてまた

しかし、韓国の場合はどうであろうか。江戸時代には日本からの文化的な影響を遮断すべく理論武装を徹底したが、それが裏目となって、近代化の決定的な時期に、逆に深部に至るまで日本文化を注入されてしまった。そしてこれは取り返しがきかない。いまさら朝鮮時代にもどって、成人女性の往来通行を禁忌することなどできないのである。

このような経緯があるため、現在の韓国人にとって、国民的文化の歴史性、独自性、連続性についての自画像を描くことは気楽な作業ではない。さらに、第2次大戦後しばらく日本と断絶し、反日のスタンスをとって国家をスタートしたことも困難さを増す要因であろう。現在の韓国の生活文化の中でどれが日本由来であり、どれがそうでないのかを明確にする自信は韓国人にはない。

とも書きました。国民文化に関して韓国人の自意識には脆弱性と問題性がある、とみています。つまり要約すると、

  1. 韓国の現代の文化は日本の文化の亜流、ないしは借り物の性格が大きい。
  2. しかし韓国人は絶対にその現実を受け入れることができない。その為に、日本を「戦犯国家」などと罵ることで心的バランスをとろうとする。これが見過ごされがちな反日の真の要因である。

と言えるのではないでしょうか。

ところで韓国人が「その現実を受け入れることができない」のはなぜかと考えてみると、その理由もいくつかありますが、15世紀に発生し、江戸時代まで続いていた、「日本=夷狄(野蛮人)」という半島の俗説が影響を与えている可能性があります。

朝鮮の文人はことある毎に、自らを文明とし日本を倭賊、蛮酋など(非文明)として誹謗してきましたが、そのなごりが今も残っています。昔の朝鮮は江戸時代の日本より「進的」な文明をもっていたと根拠なく信じたり、ウリジナルと呼ばれる、文化起源を詐称するという現象などです。

このような日本夷狄視は、大昔からあった、とか秀吉の朝鮮出兵によって生じたと信じられていましたが、ほんとうのところは、朝鮮出兵より150年前、通信使の歴史の中で発生した、”書記文明の衝突”によって生じたと考えるべきです。

それは日本の影響によって生まれたハングル(諺文)に対する恐れと反発という種から発生した想像の作物というべきものでした。

数百年後の現在、ハングル自体に対する半島人の評価はすっかり反転し、近代の要請としての国民的文化のアイコンとして重要な地位を占めるに至っています。十五世紀に反対上疏文をまとめ世宗に反抗した崔万里たちは現代の半島人の意識の中では国民的敵役になっています。したがって、本当であれば「日本夷狄論」は半島においてもすでに死滅していななければならないのですが、そうなっていません。日本を「倭賊、蛮酋」とみなす言説の期間が長く続いてきたため、そしてその原因が偽装されてきたため「日本夷狄論」の真の起源がどこにあったのかということが忘れ去られてしまったからです。

つまり、元に戻ると

なぜ韓国人(朝鮮人)が国民文化の現実を受け入れることができないかといえば、半島にはゾンビが巣くっていて、受け入れを阻害するからだ。そのゾンビとは15世紀の朝鮮通信使の時代に起こった「書記文明の衝突」により生じた、日本を野蛮とみなすという悪癖であり、代々受け継がれてきた社会的遺伝子である、

という結論にいたるわけです。

いま、このような状況においてこそ、このゾンビを退治したいものです。

現代の反日問題解体につながる知見_朝鮮通信使の歴史(4/4)






7 通信使往来の教訓

一四二八年に始まり一八一一年が最後となった通信使とその返礼の使臣の往来の歴史を振り返れば、当初は活発な渡海があった。世宗の時代には各処からの使者や商人たち正規の訪問者(倭客)が年間千人を超える規模でソウルに滞在していたほどである。しかし、やがて軋轢が発生し、長い中断の後は儀礼的でよそよそしい虚飾の事業へと替わっていった。窓口が対馬藩に一本化された交易は安定的であり、釜山は朝鮮第二の都市にまで発展したが、通信使の往来は経費をかけるほどの意味を失って終了に至ったとみることができるだろう。

この歴史から教訓としなければならない点があるとすれば、それは何であろうか。一つは日本における朝鮮への関心の低さ、この国の内実への理解の不足であり、二つ目は朝鮮側における排外性・閉鎖性ではないだろうか。お互いに自分を中心とし、自己を物差しにして狭い視野で相手をみていた。

たとえば、室町将軍・足利義教は明国との国交回復を意図し、通信使を送り出した世宗に対して明との橋渡しを要請した。しかしこれは最初からむなしい要求であった。そもそも明は臣民である朝鮮の独自外交を認めるような体制ではなく、世宗の通信使は明には無断の秘密外交であったからだ。ハングル反対派の崔万里の上疏文の中には、日本との正規の外交を明に知られたらどうするのか、と世宗を脅している箇所があるくらいである。

そして、そのような関係性を日本は知らなかった。日本は、自国内で生起する事柄に心を奪われるあまり、中国・日本・朝鮮それぞれの間の非対称な関係と現実の支配体制に関する認識が不十分であったと思わざるを得ない。

通信使の歴史では末期にあたる18世紀は日本では古学派や古文辞学派など反朱子学的言説が盛り上がった時代である。日本の文人たちの中には通信使の一行の文人に対して経学論争を仕掛けようとしたものがいたが、相手にしてもらえなかった。当時の朝鮮の儒学は実証的なものとはいえず、また「わが国、百世の讎(あだ)」とみなされていた日本の文人と学友になるなどということは危険なことであった。書物を通じて荻生徂徠や太宰春台の説に影響をうけ、日本を高く評価した丁若鏞などの例外もあったが、それは通信使が終わった後のことである。

19世紀、砲艦外交をテコにして門戸開放要求の強風が吹き荒れる時代に、清国の外交官・黄遵憲は、日本に来た朝鮮の高官に対して一つの構想(『朝鮮策略』)を示した。南下政策をとるロシアに対抗し、朝鮮・中国・日本にアメリカを加えた緩やかな連合をつくろうというものである。

日本と中国、朝鮮間には、新たな友好的関係を模索しうる状況が生まれた。朝鮮王はこの構想を検討してはみたが、しかし国内の文人層の伝統的で強固な反日感情のためにそれを具体化できなかった。長く続いた排外性・閉鎖性はのどに刺さったとげのように、朝鮮自身の西洋近代化への志向に対する障害となっていたのである。

 

8 ナショナリズムの要請としての国民の自画像

通信使の時代と異なり、現代のわれわれは半島の国民国家について、はるかに多くの知識と理解をもっているはずである。多くのニュースや生活文化など多方面の情報にも接している。文化的な距離は縮まっている。しかしながらそうはいっても歴史認識問題をはじめとして、言説の分野での衝突・齟齬が時には深刻なレベルに立ち至っているというのが否定できない現実である。この状態を不思議に感じないほうがおかしい。

通信使の歴史の教訓を応用するならば、相手に対する認識の浅さがあるのではないのか、という恐れが生ずる。韓国に関する日本人の知見は、問題解決のためには、実はまだまだ不充分なのではないのか、必要な部分が伏せられたままではないのかという可能性である。

筆者が感じている一例をあげるならば、現代の韓国人には、自分たちは日本人よりも倫理面で優れている(逆にいえば、日本人は攻撃的であり、倫理面で韓国人に劣る)、ということをアピールしたい欲求が強すぎる、という点である。この欲求が慰安婦問題その他の問題の底流に横たわっているように感じられる。

その原因はなんであろうか、これを単純に説明しようとしてもうまくいかない。これまで一般的には、日本帝国による半島支配(日帝三十六年)によって、半島人のプライドを損傷し、抑圧したことが原因であるとされてきた。日本人として向き合わなければならない事柄である。

ところが、70年後の現在、日帝時代の体験者世代よりも、後の世代の韓国人の方がむしろ反日欲求が強いことが明らかになり、従来の定説の理解では足りないことが判ってきた。多角的な視点が必要となった。

ここで文化の面での韓国人の自意識の問題を考えてみたい。国民的文化の歴史性、独自性、連続性についてどのような自画像を持ちうるのか、という点である。近現代はナショナリズムの時代とも言われている。そこではそれぞれのネーションが文化的な自画像を持っていることが暗黙のうちに要請されているのではないのだろうか。

現在の日本人は幸か不幸か、文化的な自画像を持つことに苦労はない。例えば、明治以前からジャポニスムとして一部の文化がヨーロッパに影響を与えたことなどもありアイデンティティの不安というような問題はない。西洋近代化の時代には費用をかけて各国から講師を招聘し、急速に多くを学んだが、感謝こそすれこの事実を否定しなければならない必要性はない。

しかし、韓国の場合はどうであろうか。江戸時代には日本からの文化的な影響を遮断すべく理論武装を徹底したが、それが裏目となって、近代化の決定的な時期に、逆に深部に至るまで日本文化を注入されてしまった。そしてこれは取り返しがきかない。いまさら朝鮮時代にもどって、成人女性の往来通行を禁忌することなどできないのである。

このような経緯があるため、現在の韓国人にとって、国民的文化の歴史性、独自性、連続性についての自画像を描くことは気楽な作業ではない。さらに、第2次大戦後しばらく日本と断絶し、反日のスタンスをとって国家をスタートしたことも困難さを増す要因であろう。現在の韓国の生活文化の中でどれが日本由来であり、どれがそうでないのかを明確にする自信は韓国人にはない。

 韓国は、70年代~90年代、経済面の急速な発展と同期して日本との往来が活発になるとともに、あれもそうだったかこれもそうかと若者が日本起源の事柄を発見することがあった。日本に対抗して経済強国として名誉ある地位を占めたいと願う韓国人にとって、独自性、連続性のある国民文化を想像することは「近代の要請」として強く意識されるとともに、混乱や苦痛を伴うことでもあった。ここにおいて、倫理面での日本の劣位を想像することは自己防御的な一種の代償行為といえるのではなかろうか。

韓国の文学者ジョ・ヨンイルは次のように言う。

 日本文化に対するとき、韓国人はある既視感(ノスタルジー)に捕らわれます。この錯覚がおこるのは、韓国の近代文化の基層にある日本文化のためです。(略)

韓国人は文化的な面では「容易に」日本人に感嘆するけれども、倫理的な面では「容易に」批判を並べ立てる傾向がある。このような二重の態度は基本的に表現者のアイデンティティを混乱させ・・・

               (ジョ・ヨンイル著「世界文学の構造」2011年)

このような状況を日本人は知らないかあるいは極めて鈍感である。その理由は、文化的な自画像を持つことの困難さを経験していない(あるいは忘れた)国民が我々であることによる。世界的にはむしろ少数派であろう。

このことははたして長所といえるのであろうか、そうともいえない。自己を物差しにして狭い視野で相手をみてしまえば、口当たりはよく、見栄えもよいが真実ではない論理にとらわれてしまう場合がある。つまり間違うのである。

この意味において日本人はまだまだ反省が足りない。

 

9 日本夷狄観の虚構は除かれるべき

 先にも述べたが韓国人の反日を理解するためには多角的な評価をすることが必要である。文化的な自画像を持つことの韓国の苦しみが原因というのはそのひとつにすぎない。

たとえば、政治的な出来事や政治家の言動のつらなり・連鎖の中にその原因を見出す説もあるだろう。一般論だが、平和・友好・人道主義など美辞麗句のレトリックに隠された、政治システムの運動メカニズムの秘密は暴かれるべきである。

また、朝鮮時代の朋党の争いのときの思考の文法、「衛正斥邪」の論理の残滓を一因と考えることも可能だろう。政治的な優位性を追求し、一度でも優位性を獲得したなら、相手を悪としてとことん排除し、それを美化するやり方である。世の中には善と悪としかないという、それだけ聞けば、倫理的で正義的なのだが、善の実践のためなら事実の歪曲も許されるという傾向のある、問題のある文化なのである。いずれにもせよ、多角的な分析と対話が必要だ。


この小論で指摘した事柄の一つは、朝鮮を文明とし、日本を非文明とした言説は、通説とされる、秀吉の朝鮮出兵によって決定づけられたのではなく、朝鮮出兵より150年前、通信使の歴史の中で発生した、”書記文明の衝突”によって生じたということである。

このことを知る日本人は少なく、韓国人においてはなおさらである。伏せられてきた歴史といってよいのではないであろうか。このことが両国において広く認識されれば何かが少しは変わるのではあるまいか。例えば、半島においてあまりに長くあった日本夷狄視の文化に対する評価も変化するのではあるまいか。

もし、韓国人自身が朝鮮時代の日本夷狄視を恥ずることがあれば、それは日本人にとってよいことであると同時に韓国人にとってもよいことであるだろう。

なぜならば、文化的な自画像形成における痛みから解放され、新しく独自文化の創製に向かうことが容易となる可能性が高いからである。