2014年2月1日土曜日

いまさらマルクス主義を学習してどうしようというのか__中国の思想政策

1 ひとつの茶番

中国の新しい政策として、「メディア関係者に対するマルクス主義の学習(再学習)」というのが出てきた。
全国の新聞やテレビ、通信社、雑誌などの記者25万人にマルクス主義などを学ぶ研修を義務付け、今年(2014年)1月から2月にかけて、統一の免許更新試験を実施するそうだ。
”プロレタリア独裁”とか”階級闘争史観”とかのお題目を忘れないようにしようということなのだろう。

むき出しの拝金主義(すなわち品格の無い資本主義)が闊歩する中国の現実を知っている一人の日本人からすれば、そらぞらしい茶番だをという気がする。

言葉というのは便利なもので”特殊な社会主義”だの”独自の発展形態”だのといった文言を並べれば現在の中国をマルクス主義的に位置づけ、合理化できると思っているのであろうか。 

そういえば最近は”権威主義体制”などという言葉もあって、現在の中国をそう呼び、分類するひとがいる。しかし、そのように分類したからといってどのような将来予測ができるというのであろうか。できないと私は思う。

マルクスは、生産力の発展にともなって各段階ごとの”階級闘争”が起こると説明し、これは科学であると主張した。当事者各個人がどのように考え、立ち回ろうと制御できない法則であるとした。つまり、”存在が意識を決定する”というわけである。

中国共産党の弁明によれば、中国が高度資本主義を経て社会主義に到達したのではなく,逆にそれを「飛び超えて」半植民地・半封建社会から一挙に社会主義にまでつき進んでしまったために、社会主義体制の中で高度資本主義を実現する必要があり、そのような実践をおこなっている、と言う。つまり例外的な発展段階というわけだ。
 しかし ロシアや東欧、キューバ、モンゴル、ベトナム、などどの国をとっても高度資本主義→社会主義というパターンにあてはまるものはない。
例外しか存在しない法則は法則とは言わないだろう。マルクス・エンゲルスの歴史観は既に死んでいる


2 軍閥体制という歴史形態

共産主義的構図を中国に適用するならば、封建社会→半植民地・半封建社会→初期資本主義(孫文、蒋介石)→初期社会主義(毛沢東)→初期社会主義+高度資本主義(鄧小平、江沢民、胡錦濤)→(高度)社会主義???などといった複雑で錯綜したものとなるであろう。
しかも、現在の”初期社会主義+高度資本主義”というヌエ的な体制が延々と続きそうである。もはや訳がわからない。

社会主義という概念や言葉を無視して考えてみよう。
まず台湾を例にして考えると
 ①台湾島 封建社会(清国)→半植民地的資本主義(日帝)→
 {②大陸  封建社会(清国)→軍閥体制(袁世凱、孫文)}
  国民党軍閥体制(蒋介石)→資本主義(李登輝)となるであろう。
軍閥体制というのは過渡期の政治形態といえる。国民党軍閥体制の終焉は民主的な選挙で政権が形成されることにおいて確認される。このような図式はそれほど抵抗なく理解してもらえるはずである。

この図式を中国に応用するとどうなるか 
封建社会→半植民地・半封建社会→地域軍閥体制(袁世凱、孫文、張作霖、蒋介石)→共産党軍閥体制(毛沢東)→共産党軍閥体制+高度資本主義(鄧小平、江沢民、胡錦濤)
 中国の現在の政治体制は軍閥体制を潜り抜けて形成されたものであり、いまだにその基礎のうえにある、といえるのではないだろうか。

一体、軍閥体制とは何であろうか。軍権(軍を掌握することによって生ずる権力)を敬い、そのことが政権の安定性と”正当性”を担保する。軍権と富はリンクしていなければならない。
現在の中国各地で軍の現役幹部が都市開発の采配を振るう場合があるように、経済利権に関与することが軍人の重要な職務であることは北朝鮮のみならず、中国においても同様である。


3 軍閥体制のイデオロギー

以上のような認識に則って何年か前「中国を社会主義という概念で理解することに実質はなく、共産党軍閥体制という特殊な軍閥政治として理解すべきである」と主張したが、そのときは何の反響もなかった。
 果たして現時点ではどうであろうか。
ともあれ軍閥体制というのは、やはり過渡期の政治形態と考えられるが、台湾のように解消されることが大陸で起こらないのはなぜだろうか。
それは共産党という存在と彼らの観念(社会主義)がそれを阻むからだ。かれらの意識とその政治体制、そしてそのことによる富の偏在という現実が、複数政党の政権交代を想定する議会制民主主義システムと相性が悪いことは明らかなことである。

マルクスは”存在が意識を規定する”と言った。私はマルクス主義者ではなく、”存在が意識を規定することもあるが、意識や観念が存在を差配することもあるし、並立もする”と考えている。

毛沢東の時代は階級闘争史観という観念が現実を差配した面が強いと思う。しかし、膨大な流血と悲劇をへて、軍閥体制という土台が存在価値を発揮し、制度が固定化され、その後にこの制度システムに奉仕するような観念やイデオロギーが作られている。
”日本は戦後の秩序を覆そうとしている”などという最近の主張はその一端であるとも言えると思う。
中国軍部にとって(軍備費増強につながるような)有益な歴史認識や主張は今後もどしどし発信されるであろう。
不幸なことに韓国がそのようなプロパガンダに組しているという面もある。

これに対して必要とされるのは、われわれのどのような態度であろうか。 無視したり、無言を貫くのはよくない。
単なる反論”日本は戦後の秩序を覆そうとしてはいない。事実ではない”などというのはどうだろうか。
役人的世界ではこのようなパターンも止むをえないのかもしれない。
しかし、これでは、日本は永久に被告席に立たされる続けることになる。そのうち我慢の限界に達してしまう危険性がある。

望まれる対応は、韓国や中国がこのような言辞を使うのは彼らの側に~~のような構造があることが原因である、という論理的な主張をすることであろう。
客観性を備えて、より本質的な主張を展開し、第三者も韓国人も中国人もなるほどと受け入れざるを得ないような強力な主張こそが必要だ。

2 件のコメント:

  1. いまさら
    マルクス?

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  2. ジョン・ラーベは中国在住が長いドイツ人で、当時ドイツ政府と強いコネを持ち続ける巨大複合企業シーメンスの中国支社のトップであった。

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