時々、”朝鮮時代のソンビ”の精神というものを称揚する人が現れる。
日本の学者「朝鮮のソンビ精神、円滑な社会的疎通に大きく寄与」
2014年09月30日 中央日報
「朝鮮(韓国)のソンビ精神(ソンビ=朝鮮時代に学識を持ちながら権力におもねず礼節を守った一部の士民階層、いわゆる清廉高潔な精神)は、社会が円滑に疎通するのに大きな役割を果たした。権力者だけでなく民衆とも息を合わせて合意を経ながら統一された世論形成を主導したのがソンビたちで、彼らが持つ哲学がまさにソンビ精神だ」。
日本の片岡龍・東北大学准教授(49)は、ソンビ精神についてこのように評した。
--ソンビ精神を定義するならば?
「公共性が強い『統合の精神』と言える。・・・・・、社会が正常に回っていくためには合理的な精神とシステムが必要だ。ソンビ精神は社会が望ましく動くために必要な『社会的生命の源泉』と見ることができる。・・・・民衆の意見を上層に伝達していた・・・・・ソンビ精神は生命に対する愛を含んでいる。・・・・・
抽象的な賛美を連ねているが、具体例が見られない。
ソンビというのは「士人」のことのようだ。両班階層で官職につけていない連中のこと。日本的に言うならば江戸時代の”浪人”、あるいは現代の”受験浪人”か。 両班階層の95パーセントがソンビだ。
ところで”もののふの心”とか”武士道”という言葉はあるが”浪人精神”という言葉は聞いたことがない。 ソンビ精神などと言われても虚構のにおいが漂う。
このような、あやふやな言葉ではなく、両班意識とか両班根性と言い換えたほうがはるかに実質的だ。 そして両班根性とはどんなものであったかについては、いろいろな客観的な記述や証言がある。
彼らは中国書記文化の達人をめざして(科挙の試験のために)経典の唱和・暗記、漢詩の修行に明け暮れ、労働を嫌った。土にまみれて働く庶民を蔑視していた。 かれらはそのような日々の生活にどれだけ充実感をもてていたのであろうか?
両班の半分は科挙の制度に縛りつけられた自分のこのような運命を呪っていたかも。
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