2014年3月31日月曜日

ところで習近平はナチスドイツに・・・・

中国の習近平国家主席は(2014/03/)29日、ドイツで「日本軍国主義は第2次世界大戦で南京を侵略し、30万人以上の軍人や市民を殺害する前代未聞の惨状を引き起こした」と反日スピーチを行った。
中国も韓国式の”歴史認識_戦術”をとり入れだしたとみるべきなのだろうか。

韓国式の”歴史認識_戦術”は朝鮮時代の党派の争いと似た部分があって、事実の連なりを一面的にしか理解しようとしない。
私は事実の連なり(歴史)は多面的に理解すべきだと思う。そうでなければ、朝鮮の党派の争いがそうであったように、怨念と陰謀と諸々よこしまな行いを、形而上学的な美辞麗句で包むようなことになるであろう。

歴史には、不条理ともいうべき要素や不都合な要素に満ちている。南京事件に関する習近平のスピーチの報道を聞いたときに、ふと連想的に思ったのは、習近平はナチスドイツに敬意を示したのであろうか?ということである。

南京事件の当事者は日本軍と蒋介石軍そして南京近辺の中国人民衆であるが当時、蒋介石軍と同盟していたのはナチスドイツであった。
南京と上海の間に網の目のように張り巡らされていましたトーチカ要塞線( ゼークトライン )は国民党の軍事顧問であるナチスドイツ将校らによって設営されたものであった。ナチスドイツにとって中国の蒋介石はスペインのフランコと同様の存在であった。
南京包囲戦で日本軍と戦ったのはナチスドイツによって訓練された蒋介石の部隊だったのだ。
また、日本軍が南京城を突破したあと、ナチス党南京支部副支部長ジョン・ラーベはナチス旗ハーケンクロイツを掲げ、避難してきた中国人(602人)を匿ったといわれている。
本来ならば、習近平は中国人を匿ったナチス党員に対する感謝の言葉も添えなければならないところだ。(しかしそのようなことにはならないと私は予想する。現在の両国の”歴史認識”においては都合がよくない部分である)

南京を逃れた蒋介石は「日本軍は民間人を10万人以上虐殺している」と戦時宣伝を行い国際社会に支援を訴えたが、南京にとどまっていたドイツ人(ジョン・ラーベだったと思うが)は、「その数字はいくらなんでも大げさだ」という感想を残している

2014年2月1日土曜日

いまさらマルクス主義を学習してどうしようというのか__中国の思想政策

1 ひとつの茶番

中国の新しい政策として、「メディア関係者に対するマルクス主義の学習(再学習)」というのが出てきた。
全国の新聞やテレビ、通信社、雑誌などの記者25万人にマルクス主義などを学ぶ研修を義務付け、今年(2014年)1月から2月にかけて、統一の免許更新試験を実施するそうだ。
”プロレタリア独裁”とか”階級闘争史観”とかのお題目を忘れないようにしようということなのだろう。

むき出しの拝金主義(すなわち品格の無い資本主義)が闊歩する中国の現実を知っている一人の日本人からすれば、そらぞらしい茶番だをという気がする。

言葉というのは便利なもので”特殊な社会主義”だの”独自の発展形態”だのといった文言を並べれば現在の中国をマルクス主義的に位置づけ、合理化できると思っているのであろうか。 

そういえば最近は”権威主義体制”などという言葉もあって、現在の中国をそう呼び、分類するひとがいる。しかし、そのように分類したからといってどのような将来予測ができるというのであろうか。できないと私は思う。

マルクスは、生産力の発展にともなって各段階ごとの”階級闘争”が起こると説明し、これは科学であると主張した。当事者各個人がどのように考え、立ち回ろうと制御できない法則であるとした。つまり、”存在が意識を決定する”というわけである。

中国共産党の弁明によれば、中国が高度資本主義を経て社会主義に到達したのではなく,逆にそれを「飛び超えて」半植民地・半封建社会から一挙に社会主義にまでつき進んでしまったために、社会主義体制の中で高度資本主義を実現する必要があり、そのような実践をおこなっている、と言う。つまり例外的な発展段階というわけだ。
 しかし ロシアや東欧、キューバ、モンゴル、ベトナム、などどの国をとっても高度資本主義→社会主義というパターンにあてはまるものはない。
例外しか存在しない法則は法則とは言わないだろう。マルクス・エンゲルスの歴史観は既に死んでいる


2 軍閥体制という歴史形態

共産主義的構図を中国に適用するならば、封建社会→半植民地・半封建社会→初期資本主義(孫文、蒋介石)→初期社会主義(毛沢東)→初期社会主義+高度資本主義(鄧小平、江沢民、胡錦濤)→(高度)社会主義???などといった複雑で錯綜したものとなるであろう。
しかも、現在の”初期社会主義+高度資本主義”というヌエ的な体制が延々と続きそうである。もはや訳がわからない。

社会主義という概念や言葉を無視して考えてみよう。
まず台湾を例にして考えると
 ①台湾島 封建社会(清国)→半植民地的資本主義(日帝)→
 {②大陸  封建社会(清国)→軍閥体制(袁世凱、孫文)}
  国民党軍閥体制(蒋介石)→資本主義(李登輝)となるであろう。
軍閥体制というのは過渡期の政治形態といえる。国民党軍閥体制の終焉は民主的な選挙で政権が形成されることにおいて確認される。このような図式はそれほど抵抗なく理解してもらえるはずである。

この図式を中国に応用するとどうなるか 
封建社会→半植民地・半封建社会→地域軍閥体制(袁世凱、孫文、張作霖、蒋介石)→共産党軍閥体制(毛沢東)→共産党軍閥体制+高度資本主義(鄧小平、江沢民、胡錦濤)
 中国の現在の政治体制は軍閥体制を潜り抜けて形成されたものであり、いまだにその基礎のうえにある、といえるのではないだろうか。

一体、軍閥体制とは何であろうか。軍権(軍を掌握することによって生ずる権力)を敬い、そのことが政権の安定性と”正当性”を担保する。軍権と富はリンクしていなければならない。
現在の中国各地で軍の現役幹部が都市開発の采配を振るう場合があるように、経済利権に関与することが軍人の重要な職務であることは北朝鮮のみならず、中国においても同様である。


3 軍閥体制のイデオロギー

以上のような認識に則って何年か前「中国を社会主義という概念で理解することに実質はなく、共産党軍閥体制という特殊な軍閥政治として理解すべきである」と主張したが、そのときは何の反響もなかった。
 果たして現時点ではどうであろうか。
ともあれ軍閥体制というのは、やはり過渡期の政治形態と考えられるが、台湾のように解消されることが大陸で起こらないのはなぜだろうか。
それは共産党という存在と彼らの観念(社会主義)がそれを阻むからだ。かれらの意識とその政治体制、そしてそのことによる富の偏在という現実が、複数政党の政権交代を想定する議会制民主主義システムと相性が悪いことは明らかなことである。

マルクスは”存在が意識を規定する”と言った。私はマルクス主義者ではなく、”存在が意識を規定することもあるが、意識や観念が存在を差配することもあるし、並立もする”と考えている。

毛沢東の時代は階級闘争史観という観念が現実を差配した面が強いと思う。しかし、膨大な流血と悲劇をへて、軍閥体制という土台が存在価値を発揮し、制度が固定化され、その後にこの制度システムに奉仕するような観念やイデオロギーが作られている。
”日本は戦後の秩序を覆そうとしている”などという最近の主張はその一端であるとも言えると思う。
中国軍部にとって(軍備費増強につながるような)有益な歴史認識や主張は今後もどしどし発信されるであろう。
不幸なことに韓国がそのようなプロパガンダに組しているという面もある。

これに対して必要とされるのは、われわれのどのような態度であろうか。 無視したり、無言を貫くのはよくない。
単なる反論”日本は戦後の秩序を覆そうとしてはいない。事実ではない”などというのはどうだろうか。
役人的世界ではこのようなパターンも止むをえないのかもしれない。
しかし、これでは、日本は永久に被告席に立たされる続けることになる。そのうち我慢の限界に達してしまう危険性がある。

望まれる対応は、韓国や中国がこのような言辞を使うのは彼らの側に~~のような構造があることが原因である、という論理的な主張をすることであろう。
客観性を備えて、より本質的な主張を展開し、第三者も韓国人も中国人もなるほどと受け入れざるを得ないような強力な主張こそが必要だ。

もし韓国人が漢字を読めたならば

数日前、GoKorea という日韓交流サイトに簡単な投稿をした

http://www.gokorea.jp/trans_bulletin/forum_list_view.html?uid=28159&fid=28159&thread=1000000&idx=5&page=1&sort=&skeyword=&tb=transCulture1&order=fid
{作成者=miyagase(私のハンドルネーム)}
{ 作成時間 : 2014-01-26 02:39 }
 {ヒット件数 : 118}
{タイトル} もし韓国人が漢字を読めたならば、ずいぶんと違うのだろうが・・・・

{本文}
韓国側の投稿には荒唐無稽な内容が多いと思う。
その理由のひとつが、韓国人が漢字を読めないことにあるような気がする。

一般の韓国人は歴史の勉強をしない。歴史の教科書には漢字が多く使われている(固有名詞には漢字が必要だ)から。
では彼らの知識はどこから来ているのだろうか。雑誌の記事や、子供向けのパンフレット的なもの。ファンタジー満載のテレビドラマなどからだろう。
要するにプロパガンダと質的にかわらない。
とても残念なことだ。
日本側から数件のコメントが寄せられた。韓国側からはコメントがなかった。
 boomer 2014-01-26 03:21
韓国社会は「出来の悪い伝言GAME社会」。「女子挺身隊(慰安婦とは全く無関係)は推定20万人」という話が、妄想に妄想が加わって伝言された結果、「韓国人慰安婦が20万人」という話に大変身ww

 wajin   2014-01-26 12:25
韓国人はまず思いついたことを列挙する。それを前提に理屈を組み立てようとする。しかし、思いついたことの検証が出来ていないためその後の理屈を並べて結論を述べても、前提が否定されれば結論も肯定されないということが韓国人にはわからない。前提が否定されても結論を根拠に喋りだす。

 mazinboo97 2014-01-26 18:15
漢字が読めても結果は変わらないと思うよ。どのみち、反日のためなら捏造すら厭わないのだから^^

 kobamasa  2014-01-26 22:10
日本人には韓国の主張する捏造歴史を直視することができない。ただ、パク大統領が変わる以外に韓国が日本に支援を申し込む事もできない。不幸な時期に不幸な大統領を選出した罪は韓国人全体でカバーしないといけないのが、さらに不幸


 時間帯がずれていたのでこれらのコメントへの返事はできなかったが、いつか彼らと意見を交わしてみたいと思った。

2013年12月31日火曜日

「中国化する日本」という言説について(その1)

刺激的な主張
「中国化する日本-日中文明の衝突千年史」は2,3年前に出版され大きな注目を浴びた本だ。著者は與那覇 潤氏。 タイトルも刺激的だが内容はもっと大胆で、ときどき挑発的だとさえ感じられる。
(日本の)社会の体質、風潮を「中国化」と「江戸時代化」とに分けて、評価することが特徴だ。この「中国化」の範型がはるか昔の宋朝にあるという主張からもわかるように、かなり大雑把だ。
世襲制度が大幅に後退した宋時代の中国を”近代”の始まりという説は、與那覇 氏のオリジナルではないらしい。一瞬それもありかなと思うがなんとなく悩ましい。
最近の歴史学者は専門分野の細分化が進み、全体を総合しようとすることが避けられているのかもしれない。さらに「”大きな物語”は消滅した」とされていたりして、長期的なパラダイムを描こうとすると思弁的に過ぎて、感覚としては不確かなものになっていくようだ。

その中で、與那覇 氏の言説はスケール感を感じさせるのみならず最近の数十年間の日本社会の変化をつかみ出そうという意識が明確で現実感がある。

問題ありと感じる理由
いろいろな点で示唆に富むとはいえ、しかし、以下に指摘する、どうしても同意できない点を感じる。
それもあって、結論からいえば、宋時代の中国を”近代”の始まりという主張も「近代化」=「中国化」という主張も違うのではないかと思う。

ひとつの問題は「近代」とはなにかということであり、定義が違えば、そもそも議論がかみ合わない道理だ。
自分としては、科学的発見や技術の進歩を基礎とし、これによってもたらされた国際関係の変化、産業構造の変化、さらに政治体制や社会的価値観の革新として現出したものが「近代」であり、その逆ではないと考える。
政治体制や社会的価値観(例えば、議会制民主主義や基本的人権の絶対視)が科学的発見をもたらしたわけでもないし、産業技術の進歩を招来したとも思えない。
「中国化する日本」には科学的発見や技術の進歩に関する考察がほとんど見られない。

ところで、どうしても同意できない点というのは何かといえば、日本の江戸時代(前近代)と同時期の中国や朝鮮の(日本と比較しての)後進性を與那覇 氏は無視していることである。
後進性の第一は度が過ぎた女性蔑視であり、第二は低い識字率である。
 
女の社会的存在が無視されていた朝鮮の状況に関してはこのブログの以前の記事でもいくつか言及しているが「どこが”近代”なのか」と言いたい気持ちだ。

2013年11月1日金曜日

キムチは日本と半島との間でのやり取りの中で生まれてきた食品

ユネスコ無形文化遺産保護条約政府間委員会の補助機関による勧告が発表され「和食;日本人の伝統的な食文化」や韓国のキムチが推薦をうけた。
韓国側の報道ではたとえば次のような記述をみた。

ユネスコはキムチが韓国に数百年間伝わる食べ物というだけでなく、韓民族のアイデンティティを形成してきた重要な文化的資産だということに注目した。
中央日報 2013年10月24日


キムチの語彙の違い
キムチの語彙が日本と韓国では異なるようだ。日本語の中では”漬物”というジャンルの一部として”キムチ”という韓国式漬物のジャンルがあり、唐辛子の入っていないものはキムチといわないが、現在の韓国では漬物全体をキムチという。
野菜の塩水漬け、すなわち漬物は韓国の新聞が言うように数百年前、あるいはそれ以前からあるだろうが、日本語でいう、(辛い漬物)キムチも「キムチ」という言葉も、かなり”若い”文化であることを知っているだろうか?
農文協 刊「世界の食文化_韓国」(朝倉敏夫)によれば
典型的なキムチ、赤い色がつくほど唐辛子たっぷりの白菜の漬物、この食品が半島で広く食べられるようになったのはここ数十年の歴史とのこと

「キムチ」の語源と日本の史料
じつは、この辛い漬物と「キムチ」という言葉は日本と半島との間のやりとりの中で生まれたと考えるべき理由がある。
 以前、日韓交流サイトで韓国側から「キムチは日本発祥の食べ物でしょうか?」と質問されたことがった。そのときはなぜこのようなことを日本人に聞くのだろうかと疑問に思ったものだった
後で、キムチの起源について韓国人に確信がないこと。そしてそれには理由があることを知った。朝鮮では昔から漬物を「沈菜」”チムチェ”と言っていた。このチムチェがいつのころか”キムチ”に変わったのだ。
そしてこの理由もいきさつも韓国人は知らないのだ。

結論から言うとこれには日本人と日本語が介在している。江戸時代、日本において朝鮮と交流していた対馬藩が通信使などに対してもてなし用の朝鮮料理を出すことがあり、レシピが残っているが、「チムチェ」を「きみすい」と記録していた。
「野菜が水に沈んだ状態にあるため、朝鮮では漬物のことを「沈菜」”チムチェ”といい、(釜山にあった対馬藩の役館)倭館の人はなまってこれを「きみすい」と呼ぶ、今にいう『キムチ』の語源である。」
ゆまに書房 田代和生「新倭館」

注目すべき記録である。
ここでいくつかの疑問がのこる。まず①なぜ対馬藩は「きみすい」と記録したのか?②なぜ半島人は「チムチェ」という言葉を使い続けなかったのか? などの疑問である。 ①に関しては日本人の聞き間違い、日本語ナマリというのが通説のようだ。 私は別の可能性もあると思っている。
日本にはうなぎの内臓を調理した「肝吸い」という食品があるが、朝鮮人のチムチェの食し方が日本人の目には吸い物を啜るのに似て見えたのではないか、という可能性である。チムチェは要するに野菜の塩水漬けだが、日本の漬物が漬け汁を絞ってから、盛り付けるのに対して、朝鮮のチムチェは漬け汁ごと食膳に提供され、朝鮮の両班は日本人が汁物、吸い物を啜るのと同様に、漬け汁を啜っていたのだ。

半島人はなぜ名前を変えたのか次の疑問、なぜ半島人は「チムチェ」という言葉を変えたのか、という点。
私の考えを述べる。
対馬班が朝鮮料理のつもりで提供した”きみすい”には大量にではなかったが、唐辛子が入っていた。その頃のチムチェにも量は少なかったが唐辛子が入っていたはずである。 秀吉の頃半島に渡った唐辛子は日本語では”南蛮”だが朝鮮側では「倭芥子」”日本のからし”と呼んでいた。

唐辛子はだんだんに半島人が愛用する食べ物になっていったが、日本側が朝鮮料理のつもりで提供した「キミスイ」という漬物を、唐辛子が入っているがゆえに、朝鮮人は「チムチェ」とは別の日本の食品と誤解したのではないだろうか?

このような誤解は、例えば近年、日本の料理である焼肉を、一時期日本人自身が韓国の料理と誤解したことなどを参考すれば理解できる。 
日本側の“きみすい”という言葉を半島人が使用しだしてその韓国なまりが“キムチ”となった、と考えると「チムチェ」が「キムチ」になった理由がうまく説明できる。

唐辛子を大量に使いだした時期、そして半島人が「チムチェ」という言葉を使わなくなった時期はいつごろだろうか。 おそらく19世紀の末か20世紀の初めごろではなかろうか。

いずれにもせよ、キムチは日本と半島との間でのやり取りの中で生まれてきた食品である、とはいえるであろう。

2013年9月14日土曜日

ハングル専用 の国から変身するのだろうか


「ハングル専用」の国という看板に偽りがある

韓国はなんと言っても「文字民族主義」の国で訓民正音を神聖不可分とする国だ。
いわゆるハングル専用の国だ。
しかし、真実はそうではない。法律部門や医学など専門用語を多用する各分野では実際には漢字を使って仕事をしている。
漢字なしでは回らない国が現実の韓国という国だ。
韓国人はその程度のことは見逃せというかもしれないが・・・・・。

じつは新聞でもちょくちょく見出しに漢字が登場する。
見出しは短い文字数で表さなければならないため、文章の前後を読んで・・とはいかないからだ。
たとえば「一」と「日」は同じハングルだったりするから見出しには何気なく漢字で「日」と出たりする。

「ハングル専用」の国という看板に偽りがある。

現実の韓国と仮想的な別の韓国
そこで現実の韓国という国から漢字をすべて抜き去った仮想的なもうひとつの韓国というものを想像してみよう。

まず、歴史史料は漢字で書かれているから過去の歴史の大部分が消える。つまり歴史のない国ということになる。
多数の専門用語を英語などで置き換えれば漢字は使わないですむだろう。日本をJapanに、また 「日」としていた見出しを「Jp」とかにすればよい。

しかし、それでもうまくいかないかもしれない。
なぜなら韓国語の多くは本来は漢字語なのに、本体の漢字を書かないで発オン記号で代替するという、限界がまだ残るからだ。
するとこの「韓国」のさらに多くの言葉を英語におきかえる必要がでてくる。
 将来の韓国はそのような国になっているかもしれない。
英語の単語が主でハングルの言葉が従となる、短い歴史しかもたない国に

韓国人自身はそのような想像をしたことはないのだろうか、
とふと思う。

2013年8月24日土曜日

読みもしない本を買った

古本屋に行く

 
久しぶりに古本屋を探訪しようと思い、初めての店を2軒ほどクルマで回った。

買ってきた冊数を数えてみたら16点もあったのには、われながら驚いた。安い値段の物ばかりだから、つい気軽に購入してしまった。古い雑誌が3分の1を占めていたこともある。

前回、古本屋を巡ったのは2か月前だが、やはり似たような経緯であった。

買ってきた古本がその後どうなったかというと、だいたいが、ぱらぱら覗いてから棚に据え置かれることになる。真剣に読みに入るのは3冊に1冊くらいのもので、なかにはぱらぱら覗いてみることさえしない本もある。

古本屋で本を選んでいる時点では、購入するに足る理由がそれなり自分自身にあったわけだから不思議なことだ。考えてみるに結局、これは自分自身(の読書の機能)に関する見積もりの甘さということになる。

総じて、自分の読む本を、1本屋で買った本、2 古本屋で買った本、3 図書館で借りてきた本の3種類に分けてみると、一番時間を費やしているのは図書館で借りた本であり、次が本屋で買った本のような気がする。

図書館で借りてきた本(5~10冊)は返還の期限があるから、これを気にしながら、なんとか読み終えたいという意識になる。古本屋から、(甘すぎる見積もりのうえ)読みもしない本を買ってくるのは無駄であり、無意味であるといえるだろう。

なぜか汚せない本

しかし、読まなくても大事にしている古本というのは私にも存在する。吉川弘文館の國史大系・續日本紀・前後編という本は布張りのがちっとした本だが漢文ばかりで読みづらい。読み通そうという気にはならない。

けれど、續日本紀の記録は文武~聖武~桓武の時代の記録であり、やはり日本の歴史のなかで重要な部分を担っている。他の本でときどき續日本紀が引用されたりするので、そういう時は、この古本をひろげて、該当の箇所の実際を確認しにかかる。そして、確認し終わったあとで、「ふ-む」としばらく考える。

この本はワゴンセール同然の扱いをうけて、前後編2冊でなんと400円であった。週刊誌1冊分の値段だ。週刊誌なら読んだあとはポイ捨てだが、この本はとても大事にしている。私は1冊数千円の新書でもラインマーカーで好きなだけ線を引くが、この本にはそういうことはできない。

活字印刷の本

印刷の違いという点もある。

日本では1970年代半ばまでの古本は活字印刷だが、それ以降はオフセット印刷に急速に切り替わった。確かめたわけではないが、現在の本屋にならぶ新刊本で活字印刷の本はもはや存在していないだろう。

今回買ってきた16冊の中には岩波書店の哲学叢書のモノがあったが奥付をみると、第1刷が1975年で第22刷が1997年となっていた。この現物はオフセット印刷であるけれど、最初は活字印刷で作られたのかもしれない。吉川弘文館の國史大系も平凡社の東洋文庫シリーズも、近年発売されているものはみなオフセット印刷(平板印刷)だ。奥付を見ずとも、つるっとした手触りでわかる。

当たり前だが活字印刷とオフセット印刷では中の情報に違いはない。見ため、外観にも全く違いはない。しかし、指の腹でそっとなでると違いがわかる場合がある。紙質にもよるが活字印刷の場合、微妙な凹凸を感じる。

先の續日本紀は1974年の印刷だが凹凸感しまくりである。

昔の活字印刷といえば、植字という手工業的プロセスが思い浮かぶ。何人もの職人が一つひとつ鉛の活字を集め組み立てる、という丹念な過程を経て出版が成立する、そんな時代がおよそ100年間あった。

その時代では、活字になるということは一定の社会性を獲得するということを意味し、文章をおこす側もそれなりの自意識と気合を込めて書いていたのではないだろうか。

活字印刷のページを指で感じながらそんなことを思う。