2016年1月26日火曜日

朝鮮通信使と書記文明の衝突_ C 韓国人の苦悩と日本人の洞察力





8 求められる新しい視点

通信使の時代と異なり、現代のわれわれは半島の国民国家について、はるかに多量の知識と理解をもっている。多くのニュースや生活文化など各方面の情報にも接している。文化的な距離は縮まっている。しかし、そうはいいながら残念なことに歴史認識問題をはじめとして、日本と韓国の間で、言説の分野での衝突・齟齬が深刻なレベルに立ち至っているというのが現実である。この現実は苛立たしく、日本人として、できれば避けて通りたいところであるが、なかなかそうはいかない。

隣国の歴史と文化に関して、大量の映像、刊行物が有り、文章が書かれているが、日本においては2000年代以降、それまでとは異なった視点の、“嫌韓”本と言われるものが書店に並ぶようになった。これに先立って、韓国でも反日の一段の盛り上がりがあった。その代表の一つが従軍慰安婦問題であろう。

この場で個々の問題の具体的検討をするつもりはないが、少し離れた地点から俯瞰した見方を加えてみたい。通信使の歴史の教訓を応用するならば、なお相手に対する認識の浅さがあるのではないのか、という恐れが生ずる。韓国に関する日本人の知見は、問題解決のためには、実はまだまだ不充分なのではないのか、必要な部分が伏せられたままではないのかという可能性である。

まず、着目すべきことは、現代の韓国人には、自分たちは日本人よりも倫理面で優れている(逆にいえば、日本人は攻撃的であり、韓国人はつねに被害者である)、ということをアピールしたい欲求が強すぎる、という点である。この欲求が慰安婦問題その他の問題の底流に横たわっているように感じられる。

その原因はなんであろうか、これを単純に考えても駄目だということが分かったのが、じつは現在である。これまで一般的には、日本帝国による半島支配(日帝三十六年)によって、半島人のプライドを損傷し、抑圧したことが原因であるとされてきた。日本人としては向き合わなければならない歴史である。

ところが、70年後の現在、日帝時代の体験者世代よりも、後の世代の韓国人の方がむしろ反日欲求が強いことが明らかになった。これは従来の定説の教えでは不十分であることを意味する。この認識は日本のみならず韓国でも共通している。嫌韓本であれ嫌韓批判本であれ、欠けている部分を多角的に様々説明しようとしているのが最近の言説というべきである。

これらのことを凝縮すると、「なぜ韓国人は “日本人は倫理面で劣る”と、世界の歴史のなかに刻みたい欲求をもつのか」という点を、新しい切り口で、解明することが、国民感情の衝突の解決のために必要だということになる。

ところで、韓国人の反日の新たな高まりと、これまで述べてきた朝鮮の歴史における日本夷狄視とはどのような関係にあるのであろうか。単純に同一視することは許されないし、かといって全く無視することも難しい、と考えるべきではないのだろうか。単純に同一視できない理由は韓国の社会システムが近代化を経てまったく変わっているからである。その弊害が隠しようもなくなっていた科挙の制は日清戦争の日本の勝利を契機として廃止され、科挙を基礎とした両班という階級も消滅して久しい。つまり、日本夷狄視を必要とした社会的構造はとっくの昔に消えているのである。

しかし他方、かつての教義の残滓は元々の社会構造の消滅の後も、独立してある程度は残っているという可能性は無視できない。偶然や他のものの媒介によって亡霊のようによみがえっている疑いである。たとえば、現代韓国の教科書では次のようなことが書かれている。朝鮮時代の半島は同時代の日本より”先進的”な文明をもっており、日本はその先進的な文化を欲して朝鮮に通信使の派遣を要請した・・と。

目を転ずると、世界で広く知られているものとはいえないが、我々が知っている韓国人の現象としてウリジナルというものがある。日本刀、剣道、折り紙、茶道、ソメイヨシノ、歌舞伎、漢字など様々な文化を(そうでないのに)韓国が起源だろう、とするものだ。その対象の多くは日本の文化のようだ。韓国人は日本と共通する文化について、韓国起源ではないかと考える癖があると言ってもよいだろう。このことも何らかの暗示を与えてくれているのではないだろうか。

 

9 ナショナリズムの要請としての国民の自画像

新しい視点のひとつとして、ここで韓国人の文化面での自意識の問題を考えてみたい。近現代はナショナリズムの時代とも言われている。そこではそれぞれのネィションが文化的な自画像を持っていることが暗黙のうちに要請されているのではないだろうか。国民的文化の歴史性、独自性、連続性についてどのような認識を共有しうるのか、という問題である。

そこでは、文化の面での日本人の自意識も同時に取り上げられるべきであろう。さらには、日本人の自意識が韓国人の視界に入っている可能性さえもある。

現在に限っていえば日本人は幸か不幸か、文化的な自画像を持つことに関して苦しみや緊張感などといったものはない。例えば、明治以前からジャポニスムとして一部の文化がヨーロッパに影響を与えたことなどもありアイデンティティの不安というような問題はない。西洋近代化の時代には費用をかけて各国から講師を招聘し、急速に多くを学んだが、感謝こそすれこの事実を否定しなければならない謂れはない。

しかし、自画像といってもそれは当初からスムーズに形成されたものではなく、安定・不変であったものではないだろう。振り返ってみれば、単純に日本人だけで描き得たともいえない。外部の人びとから示唆されたり、影響を受けたりしたこともあった。

江戸後期から明治時代において西洋近代化を急いでいたときはナショナリズムの形成期でもあった。このとき「和魂洋才」という熟語があり、廃仏毀釈という一種のイデオロギーもあった。この時期は漢詩が盛んにつくられた時代でもあったが、漢詩や神道は日本人の文化的アイデンティティを支えるための役目を担っていた、ともいえるであろう。

数十年を経て、漢詩の文化は日本において一般的ではなくなった。話し言葉と翻訳語を活用した新しい文体に日本人は価値を見出したのである。一時は西洋近代化の実現のために英語を公用語とすべしという言説もあった。英語教育の先駆者、福沢諭吉の提言もあり、日常的に使用する漢字を大幅に削減し、それでもかまわないとして現代の日本語を形成してきた。漢詩の文化を実質的に捨てたということは、それ以前とくらべて日本の書記文化も屈曲し、文化的アイデンティティも変化したということを意味する。

この時代、欧米から来日した多くの部外者たちは日本の文化に対して独自の評価を与えていた。その中の好意的な部分を取り込みながら日本人はネイションとしての自画像を描き直してきた。現在の我々は、例えば、フェノロサ、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、ブルーノ・タウト達の言動の影響を受けていないと言い切ることはできないのである。

時うつり、今やスシ、忍者、漫画・アニメなどが、判りやすい日本文化を代表するアイコンとして世界中に認知されてきているが、そのようなことを150年前の日本人の誰が予想し得たであろうか。

 

一方、韓国の場合はどうであろうか。外形的には、韓国の伝統文化は世界から評価を受けていると言うことが可能である。ユネスコの世界文化遺産として登録済みのもののあり、「世界の記憶(世界記憶遺産)」の登録件数に関しては、日本や中国を上回っているくらいだからだ。

しかし、文化の独自性、連続性という点でどうなのか、自画像について問題無しかといえば、逆で、大ありだというべきではないだろうか。朝鮮の書記文化は中国の書記文化の亜流という性格が強かったが。肝心の漢字を半島の国民国家は捨てた。(韓国について厳密にいえば、捨てたことにして数十年を過ごしてきた)。なぜ、近代化が進捗し、識字層が十分増えた後になって漢字を捨ててしまったのかという問題は興味深いものがあるが、一つの要素としてまさに、歴史的に中国の亜流であった、ということに対する国民の自意識が関係していると思われる。

ともあれ韓国が世界の記憶(ユネスコ)登録に持ち込んだ半島の記録は大多数が漢字で書かれているから、ほとんどすべての韓国人は原文を前にしても全くチンプンカンプンというのが現実である。

ときに韓国は儒教文化の国であると記述されることがある。しかし漢字文化の中で「礼」「仁」「道」「義」「理」「性」「気」などの語義の理解・解釈と不即不離の関係にあったのが儒教・儒学の論議であり、認識であったことを思えば、現代の半島に儒教・儒学が命脈を保っているのかは疑わしい。

漢字を捨てた後に残される「儒教・儒学」なるものは、曖昧で幼稚な道徳神話に変質した何モノかである可能性がある。

朝鮮時代の文人たちが全てを賭けてきた漢詩は今では無縁なものとなった。先に日本の書記文化は西洋近代化の中で屈曲したといったが、韓国の書記文化はほとんど180度まがっている。伝統的な書記文化の背骨は既に折れていると言ってもよい。この点に注目するならば、文化の歴史性、連続性という部分で深刻な問題を内包しているということになる。

国民文化という概念は「近代国家」という概念と双子のようなものだが書記文化を中心とした韓国という国の国民文化は伝統的な書記文化と断絶し、形成されて日が浅いものであると考えるべきであろう。これは書記文化以外の宗教や生活文化の一部にもあてはまることである。

江戸時代には日本からの文化的な影響を遮断すべく理論武装を徹底したが、それが全くの裏目となって不幸を招いたというのが歴史の示す事実であろう。近代化の決定的な時期に、逆に深部に至るまで日本文化を注入されてしまったのが半島の文化である。そして半島に居住する現代人にとって深刻なことにこれは取り返しがきかない。西洋近代化への対応・移行は一過性のものであり、不可逆的なものだからだ。いまさら朝鮮時代にもどって、成人女性の往来通行を禁忌したり、女性の個人名を奪うことなどできないのが道理である。

[朝鮮の女には名前がない、という驚きを誘う文章が19世紀の潜入宣教師の報告にあるが、これが朝鮮社会の偽りのない事実であった]

このような経緯があるため、現在の韓国人にとって、国民的文化の歴史性、独自性、連続性についての自画像を描くことは気楽な作業ではない。さらに、第2次大戦後しばらく日本と断絶し、理論武装しながら反日のスタンスをとりつつ国家をスタートしたことも困難さを増す要因であろう。現在の韓国の生活文化の中でどれが日本由来であり、どれがそうでないのかを明確にする自信は韓国人にはない。

 

10  “文化アイデンティティの危機からの反日”という仮説

 韓国は、70年代~90年代、経済の急速な発展と同期して日本との往来が活発になるとともに、あれもそうだったかこれもそうかと若者が日本起源の事ごとを発見することがあった。その一方で、経済強国として日本に対抗し、名誉ある地位を占めたいと願う韓国人にとって、独自性、連続性のある国民文化を想像することは「近代の要請」として強く意識せざるをえなかった事項である。

だが例えば、引き戸の文化や韓国人が好きな入浴の文化など現代韓国の個々の文化の起源や発展を実証的、客観的に見返すならば、そこには従来の朝鮮の文化との大きな断絶が存在し、韓国人の自意識の混乱や苦痛を惹起するものがある。ここにおいて新たな”恨みの発生“とでもいえるものを推定することができるはずである。この悩み・苦しみを抑えるためのものとして日本人に対する自民族の「倫理面での絶対的優越の歴史」という神話が要求されているのではあるまいか。

日本には「江戸の敵(かたき)を長崎で討つ」という言葉がある。意味は「意外な所で、また筋違いのことで、昔のうらみをはらす(広辞苑)」ことなのだが、今現在において、倫理面での日本人の劣位を想像することは、この諺と似て麻薬のように彼らの自尊心を防御する、暫定的な効果をもたらすといえるのではないだろうか。

自国の国民文化の深部をのぞき見ながら韓国の文学者ジョ・ヨンイルは次のように言う。

 日本文化に対するとき、韓国人はある既視感(ノスタルジー)に捕らわれます。この錯覚がおこるのは、韓国の近代文化の基層にある日本文化のためです。(略)

韓国人は文化的な面では「容易に」日本人に感嘆するけれども、倫理的な面では「容易に」批判を並べ立てる傾向がある。このような二重の態度は基本的に表現者のアイデンティティを混乱させ・・・ジョ・ヨンイル著「世界文学の構造」2011年)

 

自国の近代文化の基層にある日本を意識せざるを得ない一方、その日本を倫理面で非難することを好む韓国人の性向をジョ・ヨンイルは対照的なこととしてとらえ、日本と向き合うときの精神の複雑さ、不安定さを語るのであるが、更に一歩進めて考えるならば、実はある種の因果関係がそこには存在していると言わねばならない。

このような、韓国人の自意識の問題に関して、困ったことに現在の日本人は極めて鈍感である。その最大の理由は、文化的な自画像を持つことの困難さを経験していない(忘れた)国民が我々であることによると思われる。世界的にはむしろ少数派であるのかもしれない。

このことは長所といえるのであろうか、と問えば、そうともいえない。自己を物差しにして狭い視野で相手をみてしまえば、視野の外の真実を見逃す。そのあげく、口当たりはよく、見栄えもよいが真実ではない論理にからめ捕られてしまったりする。実際は民族主義による攻勢であったとしても、大声で普遍的なことを標榜されると、全体の構図が把握できなくなる。つまり間違うのである。

これでは結局、情報不足であった江戸時代の先人たちと同じである。この意味において、未だに歴史の教訓を生かしていないことになる。まだまだ日本人は反省が足りない。

 先にも述べたが韓国人の反日を理解するためには多角的な評価をすることが必要である。ナショナリズムを主役と捉え、文化的な自画像を持つ上での不安感や苦しみが原因というのはそのひとつにすぎない。

たとえば、韓国が戦勝国と自称したものの参加することが認められなかったサンフランシスコ講和以来の、政治的な出来事や政治家の言動のつらなり・連鎖の中にその原因を見出す説もあるだろう。一般論だが、平和・友好・人道主義など美辞麗句のレトリックよりも当事者の本音の方が本質に近い。隠された、政治システムの運動メカニズムの経緯や市民運動の実態は暴かれるべきである。

また、朝鮮時代の朋党の争いの思考法、「衛正斥邪」「党同異伐」の論理を一因と考えることも可能だろう。政治的な優位性を追求し、一度でも優位性を獲得したなら、相手を悪と理屈付けしてとことん排除し、それを美化するやり方といえる。世の中には善と悪としかないという、それだけ聞けば、倫理的で簡明なのだが、善という目的のためなら、事実の歪曲も許されるという傾向をもつ、警戒しなければならない思考である。もしも、いったん虚構を作り上げてしまうとその虚構を維持するためにさらにより大きな虚構が必要になるという悪循環さえあるのだ。

いずれにもせよ、多角的な分析と理性的な対話の実現抜きでは国民感情の衝突の解決は難しいだろう

 

11 書記文明の衝突、その後遺症

この小論で指摘した事柄の一つは、朝鮮における、自らを文明とし日本を非文明とした教義は、定説とされる、秀吉の朝鮮出兵によって決定づけられたのではなく、朝鮮出兵より150年前、通信使の歴史の中で発生した、”書記文明の衝突”によって生じたということである。半島の歴史の中で、白村江の戦い以来、世宗は最も日本に接近した王で、例外的な存在であった。濃密な日本との接触の中で、新しい文字(諺文)の文化が生まれた。

ところが、これに対する強い副作用がおこった。日本夷狄論は諺文(ハングル)対する恐れと反発という種から発生した想像の作物であった。

既に述べたように、数百年後の現在、ハングル自体に対する半島人の評価はすっかり反転し、近代が求める国民的文化のアイコンとして重要な地位を占めるに至っている。十五世紀に反対上疏文を表し世宗に反抗した崔万里たちは現代の半島人の意識の中では国民的敵役とされているのであるから、彼らが導入した「日本夷狄論」は半島においても当然死滅していなければならないはずである。

しかしながら、日本を「倭賊、蛮酋」とみなすため、長期にわたり、さまざまな方面からの理論を厚く纏っていたため、半島における日本蔑視の残滓はゾンビ(zombie)のようにうろついていると考えるべき現象がある。先にも触れたが、朝鮮は日本より「先進的」な文明をもっていた、と根拠なく信じたり、ウリジナルと呼ばれる、文化起源を詐称する現象などである。

さらに再び、考え直したいのは、近代の日本から文化的影響を大きく受けたことに対する韓国人の自己評価という問題である。

一般的には、長い歴史のある隣国同士が文化的な影響を与え合うのは当たり前の現象であろう。日本は明治以後ばかりではなく、明治以前においても、表音文字の文化以外に、先に触れた造紙の技術、さらには扇子、銭の経済、造船の技術、螺鈿漆器、煙草道具などさまざま朝鮮に影響を与えてきた。

[朝鮮王朝実録や通信使関連の具体的な記録から、これらのことは窺い知ることができる]

日本と朝鮮、どちら側からの影響が大きかったかという問題はあるが、それよりも重要なことはそれを隠したりせずに、更に独自に発展、進化させられたかどうかということであろう。

しかし、文化的な相互の影響は当たり前のことだという感覚が阻害されているとすれば事情は少し異なる。「野蛮な国=日本」という前段があれば、明治以降、深部に至るまで日本文化を注入されたという自分たちの歴史を受け入れることにおいて、どうにも否定的な感情が生起し、苦痛を覚えることになる。これが昂じると、すなわち前節で述べた、文化アイデンティティの危機からの反日という新たな趨勢が生ずると思われる。

 

では、これからどうすればよいのであろうか。ゾンビを滅することはできるのであろうか。

「理性的な対話の実現抜きでは国民感情の衝突の解決は難しい」と述べたが、不可能という意味ではない。一つの要素は多次元的な眺望ということである。

これまで国民感情の衝突という政治的な問題と国民文化の干渉・衝突・移植の歴史の互換性について触れてきた。これに対して、「文化についていくら論じても、歴史認識の対立が消えるわけではない」とか「政治と文化を混同するな」という批判は避けられないかもしれない。

しかし例えば科挙の制を巡る論議などを考えれば分かるように、同一の問題に対して、視点、立場が異なるだけという事柄も多い。別々の平面内で考えるのではなく、文化の次元も政治的な次元も包含した空間を立ち上げ、その中で市民運動のメカニズムに対するシステム分析や半島における倫理ドグマの歴史的な分析を深めなければ「反日」の解法は得られないと考える。

もう一つの要素は韓国人の理性である(日本人の反省が足りない点については既に触れた)。ジョ・ヨンイルや「帝国の慰安婦」を書いた朴裕河(パク・ユハ)の著作を読めば、かれらの結論に同意できないとしても、少なくとも一部の韓国人が十分に論理的であることは確認できるはずである。

文化交流の歴史についての認識を起点とし、誰もが否定できない事実に照明をあて、これに立脚して常識に近い論理を積み重ねることで韓国人の理性に働きかけることができる可能性がある。そのことによって、問題の本質を暴き解体へと向かうある程度の進展は図れるのではないかというのが一つの期待である。

具体的には、朝鮮通信使の歴史に対する認識を深め、共有することがその糸口になると考えたい。従来、両国の歴史教科書においては、朝鮮通信使はあたかも秀吉の朝鮮侵攻の後の出来事のように説明されてきたし、今も通信使の事業に大胆に投資した世宗の政策やその目的など後世に影響を与えた重要な部分は徹底的に無視されている。

しかしこれは、やはり歴史の歪曲そのものであろう。一般に歴史歪曲を論ずるときは、その歪曲を必要とした条件も同時に説明されるべきであろうが、書記文明の確執や近代の性格などといった歴史的な背景などについてはすでに示したつもりである。

世宗は現代の韓国においては国民文化のメインポールに他ならない。韓国の検定版・歴史教科書には「ユネスコでは毎年、世界各国の母国語発展と普及に寄与した人や団体に世宗識字章(King Sejong Literacy Prize)を与えている。この賞はハングル創製に込められた世宗大王の崇高な精神を讃え・・・・」などとある。

われわれは大多数の韓国人(そして日本人が)知らされていない、活発な世宗の通信使の事実を指摘し、「なぜ、世宗の死活的に重要な事業はそこまで無視されるのか」と正面から明瞭に、多数の耳に届けなければならない。それは両国の安定的な関係を願い、対話可能な歴史認識を求めるものにとって避け難い事柄と言えるのではあるまいか。

2016年1月13日水曜日

通信使のユネスコ共同申請がなぜ危険なのか



このたび「朝鮮通信使」関連の記録類を世界記憶遺産として、ユネスコに対して日韓有志釜山文化財団、朝鮮通信使縁地連絡協議会、朝鮮通信使ユネスコ記憶遺産日本学術委員会)による準備が数年来なされてきましたが、このたび重要な段階に至りました。


今月末(1/29)に対馬市で日韓の関係者による調印式、来月1日に長崎市で県主催のシンポジュ-ムが行われる予定とのことです。
通信使の歴史は、室町時代の六代将軍・足利義教の襲位を祝う名目で朝鮮国第四代国王・世宗が1428年から1429年にかけて京都に派遣した王使にはじまります。
世宗王はその32年の治世中に合計7回、王使を京都に向けて発出させましたが、1428年の王使は4回目にあたります。
その国書にも「今善繼善述益敦信義以」とあり、信義を通わす使者だから通信使と命名したものと思われます。
彼は合わせて3回の日本・通信使を派遣しており、この時期活発な両国の経済的、文化的な交流が行われました。
世宗は現代の韓国においてはハングルを創作した王として国民の尊崇を一身に受けている王ですが、日本側からみれば、これに加えて通信使の交通を始めた王としても記憶される存在です。
 
ところが、しかし今回のユネスコに対する共同申請の対象としては、江戸時代の通信使に限定し、世宗代の通信使、および関連する記録は対象から除外しているということを知りました。
これは全く不自然であり作為的であると受け止めざるをえません。江戸時代の通信使は再開された通信使のシステムにすぎず、世宗代の通信使を語らずには、その名の由来さえ明らかにすることができないのです。
「室町時代の通信使の歴史と江戸時代の通信使の歴史の間には秀吉の大陸侵略があり、両国の友好を記念するためには室町時代の通信使を無視した方がよい」という意見もあるようですが、このような主張は、「日本とアメリカの親善・友好の歴史を考える際には、途中に苛烈な太平洋戦争の時代があったから、戦前の交流は無視してしまおう」と主張しているようなもので、理屈として成立していません。
室町時代の通信使の歴史を除外することは単に不自然不合理であるだけでなく、大いに危険であるということを感じています。以下にその理由を説明します。
 


 1. 二つの歴史評価



 
通信使の歴史に対して2種類の認識があることを示したいとます
認識A
 ① 世宗代の日朝関係は倭寇対策がメインであり、彼の通信使に関しては知る必要がない
 ② 江戸時代の通信使の往来によって日朝間の平和の時代が訪れた 
 ③ 江戸時代まで朝鮮は日本と比較して、先進的な文化をもっていた
 ④ 日本に赴いた通信使は先進的な文化を伝えようとし、日本側は尊敬の念を以て歓迎した
 
認識B
 ① 世宗代の日朝関係は濃密・多様であり日本の文化と技術は朝鮮の文化に大きな貢献をした
 ② 江戸時代の通信使は日朝間の平和の結果として再開されたものであり、平和の原因ではなかった。
    徳川政権は実現した朝鮮との講和の延長線上に、明国との講和を追及したが、仲介を要請された朝鮮はこれに協力しなかった。
 ③ 江戸時代人の自覚は別として、現代人の評価からすれば当時の日本の消費文化・書記文化は朝鮮を圧倒していた。
 ④ 江戸時代の通信使によって伝えられた文化はほとんどなく、善隣を標榜しながらも、朝鮮側の読書人は「日本人は野蛮な民族である」と誹謗するための理由を捜していた。そして日本の為政者もそのことを知っていた
 認識は韓国の歴史教科書の立場(韓国の教科書では事実上、世宗の通信使はなかったことになっている)であり、日本の中にも同じように考えるひとがいないわけではありません。
しかし、近年、中世の外交史研究などが急速に発展し、日本では認識、あるいは部分的に認識を持つものがふえつつあると思います。
両者は水と油のように異質であり、これまで議論されることはあっても合意や融合にいたるにはまだまだ遠い状況です。しかし、事実確認と合理的な論理をくり返すことによって、よりまっとうな歴史認識を両国の国民が共有できるようになることが期待されます。
現時点は、通信使の歴史に対する評価を両国民が納得したとするには全く不適当です。
 添附した論考ドキュメント「世宗の通信使と日本文化_その1-1」、「_その1-2」(その2,3は作成中)」は、(世宗自身が熱心に取り組んだ)和紙の技術や倭楮という資源が対馬を経て朝鮮に伝わった点など、韓国人も同意せざるをいない、この時代のトピックを説明しています。
  また世宗の通信使と日本文化_その3の中で朝鮮側が強調してやまない日本夷狄視=秀吉の侵略への恨みという論理に対する根本的な疑問も提示する予定です。
 


2. なぜ危険なのか



2.1 近代以後の歴史認識の基礎として
認識Aと認識Bはそれに続く近代以後に関する歴史認識と関連しています。
認識A
 ① 明治維新の際に力量を増した日本はそれ以前に尊敬と敬意で接していた朝鮮に対して手のひら返しを行い、先進文化を抹殺するための施策をとった
 ② 日本総督府の統治は過酷なもので、日本は朝鮮を残忍に蹂躙した
 ③ 韓国の近代化は朝鮮戦争の後に自力で成し遂げられたものであり、旧植民地でありながら、奇跡的な経済発展をなしとげた。
 
認識B
 ① 近代化を進めていた日本は一時、福沢諭吉のハングル活字版への援助など、共同で西欧列強に伍すことを夢見たが、「日本は我が国、百世のあだ」という朝鮮側の反発もあってうまくいかなかった。
 ② 日清戦争後の日本は、宦官の制や奴婢制度の廃止、戸籍に良家子女の名前を記録するなどの社会制度の近代化や義務教育、近代諸産業の基礎づくりを行い、ヨーロッパ諸国の植民地統治とは異なる統治をおこなった。
 ③ 戦後、韓国の浦項製鉄への八幡製鉄(および富士製鉄、日本鋼管)の技術支援や、自動車企業への日本の同業社からの技術支援など日本は韓国の産業発展に協力した。 造船、化学工業、電子産業などは同種産業の強国であった日本から、情報の摂取、生産設備の導入などの面で他の諸国に対して韓国には特別有利な環境があった。
 これらのの関係は原理的には独立した事柄であってもよいのですが実際にはつながっています。(特に--
の認識はの認識を補強するために要求されているともいえます。
(付録に、朝鮮の方が先進的な文化を持っていたし、日本は朝鮮を敬っていたという韓国の最近の論調の例を示します。)
 
2.2 ユネスコ登録の不可逆性と世界市民の知識の限界
ユネスコ登録が歴史認識のすべてでないことは当然としても、大衆的にはユネスコという権威ある国際機関の保証付きの歴史文化の知識ということになっています。
「朝鮮は先進文化を日本に伝えた」と明文化されなかったとしても、もし「日本側は尊敬の念を以て歓迎した」ということがもっぱら記録され、室町時代の通信使が登録されなかったならば、認識Aまでは半歩の距離であり、朝鮮は日本の先生で文化を教えてあげたらしいよというような主張が世界の常識となるわけです。
しかも、最近周知のように、他国と関連する記憶遺産は関連する国が同意しなければ登録が困難になりました。
つまり問題は、一度、共同登録されてしまえば、相手国が同意しない限り変更ができず、不可逆的に固定化されてしまうことです。不完全な合意をもって共同登録することは全く危険なことと言わねばなりません。
後になって、世宗の通信使の方が実質があり重要だ、などといくら主張しても通用しません。
なぜならば、国際化の時代ですから世界の市民は多くの国々に関する知識を蓄えなければならず、特定の二国間関係の知識はツイート一回分程度に短縮されざるをえません。ユネスコ登録とは別の、「韓国がどうしてもというのでこの形を暫定的にとった」などと便々とした説明を聞かねばならぬ義理は一切ないわけです。
 
2.3 重要な手掛かりの封殺
先の認識Aは「日本収奪論」と呼ばれるもので、現在の韓国の支配的な認識ですが、最近、認識Bを持つ研究者も韓国にいて、論争が断続的に行われています。将来は後者が増えるものと考えます。こちらは「日本近代化論」と呼ばれています。
一方、我々もまた実証的な検討の範囲を広げ、中世・近世に関する認識Aを修正し、認識Bを常識化すべきと思います。
それには、朝鮮の読書人(両班)が日本を誹謗したことに関して、秘められた深層の原因が世宗代の濃密な文化交流の中で発生したという知見が重要となると思っています。 (「その2」「その3」で説明)
そして、ふつうは世宗の業績を最大限評価する、韓国の思想界が、世宗自身が多大の負担に耐えてまで推進した通信使の歴史を徹底無視するという奇怪な言動を示すことを、そのようなものに対する警戒心の表れ、証左と理解することも可能でしょう。
 
2.4 キャンプ・バージニアケース(2005/1)との類似性
今回の共同申請は2012年の釜山文化財団から日本側への働きかけから始まったと聞いているし、全体をとおして韓国側や民団(在日大韓民国民団)からの能動的なアプローチがあったと思います。
昨年の岡崎市での家康まつりに、新たに朝鮮通信使パレードを申し込んだり、
ソウルから東京までの(朝鮮通信使登録)サイクリングキャンペーンなどへの日本側での参加者組織化も民団側が主導的にかかわっていると思われます。
これまで述べてきた観点をふまえると、ひとつの事例を想起せざるをえません。
クウェートの米軍基地「キャンプ・バージニア」で、20051月に撮影されウェブサイトに掲載された写真には日の丸がついた迷彩服の陸自隊員と韓国軍兵士が立ち、ハングルで「独島は大韓民国領です」と書いた紙を掲げていました。
 
韓国軍兵士がほほえみながら一緒に撮ろうと(ハングルを理解していない)陸自隊員を誘った結果このような写真がとられたわけです。
日本側が友好を願い、韓国側が「友好」を口にしても、相手の深層心理まで把握していない場合や観光開発に気がはやると、落とし穴に、まっさかさまということがおこりうるのです。
 


3. 結論


 決定的に重要なことは世宗の始めた通信使(室町時代の通信使)を含めて考えるかどうかです。
世宗の通信使の真実を日本と韓国の市民が共有できれば、双方の歴史認識が近づき、友好度は高まります。
この歴史が韓国の歴史から排除されているのは、先にも述べたように、この国の反日センチメントを醸成しようとする立場からみて、邪魔であるからにほかなりません。
日韓友好を考えるならば、真っ先にとりあげなければならないはずの世宗の通信使を意図的に除外するということは、真意は「反日」あることは明白です。
ユネスコという国際舞台で「反日」を固定化しようとする、それも日本人の協力によってなしとげる。
どうしてそんなことが可能かといえば、日本側の善意を利用しているわけです。表面的な「平和」「友情」「善隣外交」というフレーズを山ほど振り撒き、各種のイベントを展開してムードを演出し、観光開発という絵に描いた餅をみせて錯覚を誘ったりしてきたと思われます。
まったく、“精緻な狡知“というべきでしょう。ある意味、壮大な規模での「キャンプ・バージニア」を新たに試みているわけです。
危険であり残念なことであります。
今回の共同申請は中止、ないしは延期し、日韓間の冷静で客観的で真摯な歴史対話こそをまず先行すべきであり、観光開発などはその後、本当の友好の内実を高めた後でなければならないと申し上げます。このままでは大きく後悔することになるのは必定です。
 

 


〈付録〉朝鮮の方が先進的な文化を持っていたし、日本は朝鮮を敬っていたという論調



 
 全世界で日本を堂々と無視する国は韓国しかないという。客観的な指標だけを見れば「実にばかげたことをしている」と言われても仕方がないだろう。ところが日本という国は、多少無視しても構わない。日本は最初から「帝国」になれるような国ではなかったのだ。

・・・・・・・
西洋文明で彩られた日本をモデルとして考えた。しかし、それは本当に短い間だった。当時の日本をじっくりと観察してみたところで、これこそ文化だと認めるに値するものが存在しなかった。さらには、日本は自分たちよりも植民地の水準の方が高いということを見抜けなかった。周辺の先進文化を抹殺するために、ありとあらゆることを行った。

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朝鮮日報_寄稿】韓国が日本を無視しても構わない理由___2015/09/27
南柾旭ナム・ジョングク崇実大学文芸創作学科兼任教授http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/09/26/2015092600369.html
 


 江戸時代以前には尊敬と敬意を持って韓国に接していた時代があった。

西欧列強を文明の規格として近代化にだけ関心が集まっていたために、それまでの尊敬されていた韓国は蔑視と差別の対象を越えて、もはや嫌悪の対象に変化した。
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 過去の百済の使節・阿直岐と王仁博士が日本を教育してなかったとしたら、彼ら日本人に「カナ(KANA)」という文字が甘受されていただろうか。詳しく調べれば、三島由紀夫も村上春樹もその百歳の庶子に過ぎないのに、なぜ本来の直系の赤子である私たちが彼らの毒のような下劣な文章に感染してばかりいるのか、そろそろじっくり振り返る時期である

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[寄稿] 日本文学感染症候群
京郷新聞(韓国語) _____2015.6.25
金賢姫(キム・ヒョンヒ) 日本文学研究者
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201506252105375






日本は多分に二重的だ。古代日本は百済など韓半島(朝鮮半島)から多くを学んだ。しかしその後力量を強化して壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を起こした。

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 日本はまた経済的な一流国家としての自尊心とアイデンティティに対する執着が強いながらも、精神的・道徳的なアイデンティティの価値を相対的に低く評価している。このようにバランス感を失って精神的な基礎が揺らぎながら、日本は植民地時代の韓国を残忍に蹂躪(じゅうりん)して第2次世界大戦時は人間としての尊厳と価値を踏みにじり、想像できないほど残酷で野蛮的な行動もはばからなかった。


日本は自己破壊的な偏見の中で、すまないと思う術も知らずにバランス感と羞恥心まで弱くなってしまったのではないのか疑わしい。道徳的な症候群に陥る感じだ。

日本の精神的・道徳的優位に立って堂々と

2015年08月14日
チョン・ドクグNEAR(North East Asia Research)財団理事長
http://japanese.joins.com/article/445/204445.html?servcode=100&sectcode=140&cloc=jp|main|top_news
 
 
  1989年に韓国折り紙協会を設立したノ理事長は、私財まで投入して国内外で20万人の折り紙講師を育てた。千羽鶴は日本がいち早く高めた国力を基礎に世界に広めた習俗だ。それでも折り紙の宗主国は日本にはならない。韓国でも864年に道銑国師が折り鶴を投げて落ちた地点に玉竜寺を創建したという話が伝えられるなど、伝統では決して劣っていないからだ。むしろ610年に高句麗の僧侶・曇懲(ダムジン)が紙を日本に伝える時、折り紙も渡ったと推定される。
{推古天皇「十八年春三月、高麗王貢上僧曇徴・法定。曇徴知五經。且能作彩色及紙墨、并造碾磑」と日本書紀にあるのは、高句麗から儒学にも通じ、工芸・技術にも多能であった曇徴という僧がきた、と解すべきであって、これ以前には日本に造紙の技術がなかったと決めるべきではない。__千堂 注}
ノ理事長は・・・・・「韓国国際協力団(KOICA)海外ボランティア団と世界各地の韓民族ネットワークを活用し、折り紙文化を伝えなければならない」と述べた。また「日本の公的機関の折り紙普及努力を韓国政府も参考にするべき」と話した。
モンゴルに広まる折り紙韓流…「宗主国は日本でなく韓国
[中央日報/中央日報日本語版]201210101101
http://japanese.joins.com/article/015/161015.html?servcode=400&sectcode=420