8 求められる新しい視点
通信使の時代と異なり、現代のわれわれは半島の国民国家について、はるかに多量の知識と理解をもっている。多くのニュースや生活文化など各方面の情報にも接している。文化的な距離は縮まっている。しかし、そうはいいながら残念なことに歴史認識問題をはじめとして、日本と韓国の間で、言説の分野での衝突・齟齬が深刻なレベルに立ち至っているというのが現実である。この現実は苛立たしく、日本人として、できれば避けて通りたいところであるが、なかなかそうはいかない。
隣国の歴史と文化に関して、大量の映像、刊行物が有り、文章が書かれているが、日本においては2000年代以降、それまでとは異なった視点の、“嫌韓”本と言われるものが書店に並ぶようになった。これに先立って、韓国でも反日の一段の盛り上がりがあった。その代表の一つが従軍慰安婦問題であろう。
この場で個々の問題の具体的検討をするつもりはないが、少し離れた地点から俯瞰した見方を加えてみたい。通信使の歴史の教訓を応用するならば、なお相手に対する認識の浅さがあるのではないのか、という恐れが生ずる。韓国に関する日本人の知見は、問題解決のためには、実はまだまだ不充分なのではないのか、必要な部分が伏せられたままではないのかという可能性である。
まず、着目すべきことは、現代の韓国人には、自分たちは日本人よりも倫理面で優れている(逆にいえば、日本人は攻撃的であり、韓国人はつねに被害者である)、ということをアピールしたい欲求が強すぎる、という点である。この欲求が慰安婦問題その他の問題の底流に横たわっているように感じられる。
その原因はなんであろうか、これを単純に考えても駄目だということが分かったのが、じつは現在である。これまで一般的には、日本帝国による半島支配(日帝三十六年)によって、半島人のプライドを損傷し、抑圧したことが原因であるとされてきた。日本人としては向き合わなければならない歴史である。
ところが、70年後の現在、日帝時代の体験者世代よりも、後の世代の韓国人の方がむしろ反日欲求が強いことが明らかになった。これは従来の定説の教えでは不十分であることを意味する。この認識は日本のみならず韓国でも共通している。嫌韓本であれ嫌韓批判本であれ、欠けている部分を多角的に様々説明しようとしているのが最近の言説というべきである。
これらのことを凝縮すると、「なぜ韓国人は “日本人は倫理面で劣る”と、世界の歴史のなかに刻みたい欲求をもつのか」という点を、新しい切り口で、解明することが、国民感情の衝突の解決のために必要だということになる。
ところで、韓国人の反日の新たな高まりと、これまで述べてきた朝鮮の歴史における日本夷狄視とはどのような関係にあるのであろうか。単純に同一視することは許されないし、かといって全く無視することも難しい、と考えるべきではないのだろうか。単純に同一視できない理由は韓国の社会システムが近代化を経てまったく変わっているからである。その弊害が隠しようもなくなっていた科挙の制は日清戦争の日本の勝利を契機として廃止され、科挙を基礎とした両班という階級も消滅して久しい。つまり、日本夷狄視を必要とした社会的構造はとっくの昔に消えているのである。
しかし他方、かつての教義の残滓は元々の社会構造の消滅の後も、独立してある程度は残っているという可能性は無視できない。偶然や他のものの媒介によって亡霊のようによみがえっている疑いである。たとえば、現代韓国の教科書では次のようなことが書かれている。朝鮮時代の半島は同時代の日本より”先進的”な文明をもっており、日本はその先進的な文化を欲して朝鮮に通信使の派遣を要請した・・と。
目を転ずると、世界で広く知られているものとはいえないが、我々が知っている韓国人の現象としてウリジナルというものがある。日本刀、剣道、折り紙、茶道、ソメイヨシノ、歌舞伎、漢字など様々な文化を(そうでないのに)韓国が起源だろう、とするものだ。その対象の多くは日本の文化のようだ。韓国人は日本と共通する文化について、韓国起源ではないかと考える癖があると言ってもよいだろう。このことも何らかの暗示を与えてくれているのではないだろうか。
9 ナショナリズムの要請としての国民の自画像
新しい視点のひとつとして、ここで韓国人の文化面での自意識の問題を考えてみたい。近現代はナショナリズムの時代とも言われている。そこではそれぞれのネィションが文化的な自画像を持っていることが暗黙のうちに要請されているのではないだろうか。国民的文化の歴史性、独自性、連続性についてどのような認識を共有しうるのか、という問題である。
そこでは、文化の面での日本人の自意識も同時に取り上げられるべきであろう。さらには、日本人の自意識が韓国人の視界に入っている可能性さえもある。
現在に限っていえば日本人は幸か不幸か、文化的な自画像を持つことに関して苦しみや緊張感などといったものはない。例えば、明治以前からジャポニスムとして一部の文化がヨーロッパに影響を与えたことなどもありアイデンティティの不安というような問題はない。西洋近代化の時代には費用をかけて各国から講師を招聘し、急速に多くを学んだが、感謝こそすれこの事実を否定しなければならない謂れはない。
しかし、自画像といってもそれは当初からスムーズに形成されたものではなく、安定・不変であったものではないだろう。振り返ってみれば、単純に日本人だけで描き得たともいえない。外部の人びとから示唆されたり、影響を受けたりしたこともあった。
江戸後期から明治時代において西洋近代化を急いでいたときはナショナリズムの形成期でもあった。このとき「和魂洋才」という熟語があり、廃仏毀釈という一種のイデオロギーもあった。この時期は漢詩が盛んにつくられた時代でもあったが、漢詩や神道は日本人の文化的アイデンティティを支えるための役目を担っていた、ともいえるであろう。
数十年を経て、漢詩の文化は日本において一般的ではなくなった。話し言葉と翻訳語を活用した新しい文体に日本人は価値を見出したのである。一時は西洋近代化の実現のために英語を公用語とすべしという言説もあった。英語教育の先駆者、福沢諭吉の提言もあり、日常的に使用する漢字を大幅に削減し、それでもかまわないとして現代の日本語を形成してきた。漢詩の文化を実質的に捨てたということは、それ以前とくらべて日本の書記文化も屈曲し、文化的アイデンティティも変化したということを意味する。
この時代、欧米から来日した多くの部外者たちは日本の文化に対して独自の評価を与えていた。その中の好意的な部分を取り込みながら日本人はネイションとしての自画像を描き直してきた。現在の我々は、例えば、フェノロサ、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、ブルーノ・タウト達の言動の影響を受けていないと言い切ることはできないのである。
時うつり、今やスシ、忍者、漫画・アニメなどが、判りやすい日本文化を代表するアイコンとして世界中に認知されてきているが、そのようなことを150年前の日本人の誰が予想し得たであろうか。
一方、韓国の場合はどうであろうか。外形的には、韓国の伝統文化は世界から評価を受けていると言うことが可能である。ユネスコの世界文化遺産として登録済みのもののあり、「世界の記憶(世界記憶遺産)」の登録件数に関しては、日本や中国を上回っているくらいだからだ。
しかし、文化の独自性、連続性という点でどうなのか、自画像について問題無しかといえば、逆で、大ありだというべきではないだろうか。朝鮮の書記文化は中国の書記文化の亜流という性格が強かったが。肝心の漢字を半島の国民国家は捨てた。(韓国について厳密にいえば、捨てたことにして数十年を過ごしてきた)。なぜ、近代化が進捗し、識字層が十分増えた後になって漢字を捨ててしまったのかという問題は興味深いものがあるが、一つの要素としてまさに、歴史的に中国の亜流であった、ということに対する国民の自意識が関係していると思われる。
ともあれ韓国が世界の記憶(ユネスコ)登録に持ち込んだ半島の記録は大多数が漢字で書かれているから、ほとんどすべての韓国人は原文を前にしても全くチンプンカンプンというのが現実である。
ときに韓国は儒教文化の国であると記述されることがある。しかし漢字文化の中で「礼」「仁」「道」「義」「理」「性」「気」などの語義の理解・解釈と不即不離の関係にあったのが儒教・儒学の論議であり、認識であったことを思えば、現代の半島に儒教・儒学が命脈を保っているのかは疑わしい。
漢字を捨てた後に残される「儒教・儒学」なるものは、曖昧で幼稚な道徳神話に変質した何モノかである可能性がある。
朝鮮時代の文人たちが全てを賭けてきた漢詩は今では無縁なものとなった。先に日本の書記文化は西洋近代化の中で屈曲したといったが、韓国の書記文化はほとんど180度まがっている。伝統的な書記文化の背骨は既に折れていると言ってもよい。この点に注目するならば、文化の歴史性、連続性という部分で深刻な問題を内包しているということになる。
国民文化という概念は「近代国家」という概念と双子のようなものだが書記文化を中心とした韓国という国の国民文化は伝統的な書記文化と断絶し、形成されて日が浅いものであると考えるべきであろう。これは書記文化以外の宗教や生活文化の一部にもあてはまることである。
江戸時代には日本からの文化的な影響を遮断すべく理論武装を徹底したが、それが全くの裏目となって不幸を招いたというのが歴史の示す事実であろう。近代化の決定的な時期に、逆に深部に至るまで日本文化を注入されてしまったのが半島の文化である。そして半島に居住する現代人にとって深刻なことにこれは取り返しがきかない。西洋近代化への対応・移行は一過性のものであり、不可逆的なものだからだ。いまさら朝鮮時代にもどって、成人女性の往来通行を禁忌したり、女性の個人名を奪うことなどできないのが道理である。
[朝鮮の女には名前がない、という驚きを誘う文章が19世紀の潜入宣教師の報告にあるが、これが朝鮮社会の偽りのない事実であった]
このような経緯があるため、現在の韓国人にとって、国民的文化の歴史性、独自性、連続性についての自画像を描くことは気楽な作業ではない。さらに、第2次大戦後しばらく日本と断絶し、理論武装しながら反日のスタンスをとりつつ国家をスタートしたことも困難さを増す要因であろう。現在の韓国の生活文化の中でどれが日本由来であり、どれがそうでないのかを明確にする自信は韓国人にはない。
10 “文化アイデンティティの危機からの反日”という仮説
韓国は、70年代~90年代、経済の急速な発展と同期して日本との往来が活発になるとともに、あれもそうだったかこれもそうかと若者が日本起源の事ごとを発見することがあった。その一方で、経済強国として日本に対抗し、名誉ある地位を占めたいと願う韓国人にとって、独自性、連続性のある国民文化を想像することは「近代の要請」として強く意識せざるをえなかった事項である。
だが例えば、引き戸の文化や韓国人が好きな入浴の文化など現代韓国の個々の文化の起源や発展を実証的、客観的に見返すならば、そこには従来の朝鮮の文化との大きな断絶が存在し、韓国人の自意識の混乱や苦痛を惹起するものがある。ここにおいて新たな”恨みの発生“とでもいえるものを推定することができるはずである。この悩み・苦しみを抑えるためのものとして日本人に対する自民族の「倫理面での絶対的優越の歴史」という神話が要求されているのではあるまいか。
日本には「江戸の敵(かたき)を長崎で討つ」という言葉がある。意味は「意外な所で、また筋違いのことで、昔のうらみをはらす(広辞苑)」ことなのだが、今現在において、倫理面での日本人の劣位を想像することは、この諺と似て麻薬のように彼らの自尊心を防御する、暫定的な効果をもたらすといえるのではないだろうか。
自国の国民文化の深部をのぞき見ながら韓国の文学者ジョ・ヨンイルは次のように言う。
日本文化に対するとき、韓国人はある既視感(ノスタルジー)に捕らわれます。この錯覚がおこるのは、韓国の近代文化の基層にある日本文化のためです。(略)
韓国人は文化的な面では「容易に」日本人に感嘆するけれども、倫理的な面では「容易に」批判を並べ立てる傾向がある。このような二重の態度は基本的に表現者のアイデンティティを混乱させ・・・(ジョ・ヨンイル著「世界文学の構造」2011年)
自国の近代文化の基層にある日本を意識せざるを得ない一方、その日本を倫理面で非難することを好む韓国人の性向をジョ・ヨンイルは対照的なこととしてとらえ、日本と向き合うときの精神の複雑さ、不安定さを語るのであるが、更に一歩進めて考えるならば、実はある種の因果関係がそこには存在していると言わねばならない。
このような、韓国人の自意識の問題に関して、困ったことに現在の日本人は極めて鈍感である。その最大の理由は、文化的な自画像を持つことの困難さを経験していない(忘れた)国民が我々であることによると思われる。世界的にはむしろ少数派であるのかもしれない。
このことは長所といえるのであろうか、と問えば、そうともいえない。自己を物差しにして狭い視野で相手をみてしまえば、視野の外の真実を見逃す。そのあげく、口当たりはよく、見栄えもよいが真実ではない論理にからめ捕られてしまったりする。実際は民族主義による攻勢であったとしても、大声で普遍的なことを標榜されると、全体の構図が把握できなくなる。つまり間違うのである。
これでは結局、情報不足であった江戸時代の先人たちと同じである。この意味において、未だに歴史の教訓を生かしていないことになる。まだまだ日本人は反省が足りない。
先にも述べたが韓国人の反日を理解するためには多角的な評価をすることが必要である。ナショナリズムを主役と捉え、文化的な自画像を持つ上での不安感や苦しみが原因というのはそのひとつにすぎない。
たとえば、韓国が戦勝国と自称したものの参加することが認められなかったサンフランシスコ講和以来の、政治的な出来事や政治家の言動のつらなり・連鎖の中にその原因を見出す説もあるだろう。一般論だが、平和・友好・人道主義など美辞麗句のレトリックよりも当事者の本音の方が本質に近い。隠された、政治システムの運動メカニズムの経緯や市民運動の実態は暴かれるべきである。
また、朝鮮時代の朋党の争いの思考法、「衛正斥邪」「党同異伐」の論理を一因と考えることも可能だろう。政治的な優位性を追求し、一度でも優位性を獲得したなら、相手を悪と理屈付けしてとことん排除し、それを美化するやり方といえる。世の中には善と悪としかないという、それだけ聞けば、倫理的で簡明なのだが、善という目的のためなら、事実の歪曲も許されるという傾向をもつ、警戒しなければならない思考である。もしも、いったん虚構を作り上げてしまうとその虚構を維持するためにさらにより大きな虚構が必要になるという悪循環さえあるのだ。
いずれにもせよ、多角的な分析と理性的な対話の実現抜きでは国民感情の衝突の解決は難しいだろう。
11 書記文明の衝突、その後遺症
この小論で指摘した事柄の一つは、朝鮮における、自らを文明とし日本を非文明とした教義は、定説とされる、秀吉の朝鮮出兵によって決定づけられたのではなく、朝鮮出兵より150年前、通信使の歴史の中で発生した、”書記文明の衝突”によって生じたということである。半島の歴史の中で、白村江の戦い以来、世宗は最も日本に接近した王で、例外的な存在であった。濃密な日本との接触の中で、新しい文字(諺文)の文化が生まれた。
ところが、これに対する強い副作用がおこった。日本夷狄論は諺文(ハングル)対する恐れと反発という種から発生した想像の作物であった。
既に述べたように、数百年後の現在、ハングル自体に対する半島人の評価はすっかり反転し、近代が求める国民的文化のアイコンとして重要な地位を占めるに至っている。十五世紀に反対上疏文を表し世宗に反抗した崔万里たちは現代の半島人の意識の中では国民的敵役とされているのであるから、彼らが導入した「日本夷狄論」は半島においても当然死滅していなければならないはずである。
しかしながら、日本を「倭賊、蛮酋」とみなすため、長期にわたり、さまざまな方面からの理論を厚く纏っていたため、半島における日本蔑視の残滓はゾンビ(zombie)のようにうろついていると考えるべき現象がある。先にも触れたが、朝鮮は日本より「先進的」な文明をもっていた、と根拠なく信じたり、ウリジナルと呼ばれる、文化起源を詐称する現象などである。
さらに再び、考え直したいのは、近代の日本から文化的影響を大きく受けたことに対する韓国人の自己評価という問題である。
一般的には、長い歴史のある隣国同士が文化的な影響を与え合うのは当たり前の現象であろう。日本は明治以後ばかりではなく、明治以前においても、表音文字の文化以外に、先に触れた造紙の技術、さらには扇子、銭の経済、造船の技術、螺鈿漆器、煙草道具などさまざま朝鮮に影響を与えてきた。
[朝鮮王朝実録や通信使関連の具体的な記録から、これらのことは窺い知ることができる]
日本と朝鮮、どちら側からの影響が大きかったかという問題はあるが、それよりも重要なことはそれを隠したりせずに、更に独自に発展、進化させられたかどうかということであろう。
しかし、文化的な相互の影響は当たり前のことだという感覚が阻害されているとすれば事情は少し異なる。「野蛮な国=日本」という前段があれば、明治以降、深部に至るまで日本文化を注入されたという自分たちの歴史を受け入れることにおいて、どうにも否定的な感情が生起し、苦痛を覚えることになる。これが昂じると、すなわち前節で述べた、文化アイデンティティの危機からの反日という新たな趨勢が生ずると思われる。
では、これからどうすればよいのであろうか。ゾンビを滅することはできるのであろうか。
「理性的な対話の実現抜きでは国民感情の衝突の解決は難しい」と述べたが、不可能という意味ではない。一つの要素は多次元的な眺望ということである。
これまで国民感情の衝突という政治的な問題と国民文化の干渉・衝突・移植の歴史の互換性について触れてきた。これに対して、「文化についていくら論じても、歴史認識の対立が消えるわけではない」とか「政治と文化を混同するな」という批判は避けられないかもしれない。
しかし例えば科挙の制を巡る論議などを考えれば分かるように、同一の問題に対して、視点、立場が異なるだけという事柄も多い。別々の平面内で考えるのではなく、文化の次元も政治的な次元も包含した空間を立ち上げ、その中で市民運動のメカニズムに対するシステム分析や半島における倫理ドグマの歴史的な分析を深めなければ「反日」の解法は得られないと考える。
もう一つの要素は韓国人の理性である(日本人の反省が足りない点については既に触れた)。ジョ・ヨンイルや「帝国の慰安婦」を書いた朴裕河(パク・ユハ)の著作を読めば、かれらの結論に同意できないとしても、少なくとも一部の韓国人が十分に論理的であることは確認できるはずである。
文化交流の歴史についての認識を起点とし、誰もが否定できない事実に照明をあて、これに立脚して常識に近い論理を積み重ねることで韓国人の理性に働きかけることができる可能性がある。そのことによって、問題の本質を暴き解体へと向かうある程度の進展は図れるのではないかというのが一つの期待である。
具体的には、朝鮮通信使の歴史に対する認識を深め、共有することがその糸口になると考えたい。従来、両国の歴史教科書においては、朝鮮通信使はあたかも秀吉の朝鮮侵攻の後の出来事のように説明されてきたし、今も通信使の事業に大胆に投資した世宗の政策やその目的など後世に影響を与えた重要な部分は徹底的に無視されている。
しかしこれは、やはり歴史の歪曲そのものであろう。一般に歴史歪曲を論ずるときは、その歪曲を必要とした条件も同時に説明されるべきであろうが、書記文明の確執や近代の性格などといった歴史的な背景などについてはすでに示したつもりである。
世宗は現代の韓国においては国民文化のメインポールに他ならない。韓国の検定版・歴史教科書には「ユネスコでは毎年、世界各国の母国語発展と普及に寄与した人や団体に世宗識字章(King Sejong Literacy Prize)を与えている。この賞はハングル創製に込められた世宗大王の崇高な精神を讃え・・・・」などとある。
われわれは大多数の韓国人(そして日本人が)知らされていない、活発な世宗の通信使の事実を指摘し、「なぜ、世宗の死活的に重要な事業はそこまで無視されるのか」と正面から明瞭に、多数の耳に届けなければならない。それは両国の安定的な関係を願い、対話可能な歴史認識を求めるものにとって避け難い事柄と言えるのではあるまいか。
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