2019年9月22日日曜日

古谷有希子 の主張は不十分である__その5


だが、そうした意識の薄かった若年層にまで歴史修正主義的な思考が広がり、嫌韓が蔓延している背景には、「日本などどうでもいいと思っている韓国」「理不尽に怒っている韓国人」に対する憤りと、いつまでも怒っている韓国に付き合うことに対する疲労感がある。


民主化運動の成功が韓国人の日本観を歪めている

韓国は民主化運動をはじめ、民衆の力で政治を、社会を、変えてきた

自らも民衆運動に参画し、進歩派として人権問題や労働問題で戦ってきた経験のある文大統領の就任自体、国民の力で朴政権に対して「正義」を追求した結果である。

民衆が正義を追求し、社会運動を通じて社会や政治を変えてきた韓国では、人権問題や植民地問題を正面から受け止め、変革させようとしない日本は、停滞し、遅れているように映る。 冷静に、歴史的知見を加えれば、朝鮮時代の党派抗争の遺伝子をもった種子が発芽した、と考える方が適切だろう。
しかし、そうした韓国人の考え方、態度自体が日本では理不尽かつ感情的に映る。
なぜなら、日本人の多くは民衆の力で社会を変えることを是とは考えていないし、その必要性も感じていないからだ。

日本では、全共闘闘争の社会的記憶が、連合赤軍などの内ゲバ・(総括という名の)リンチ殺人と結合しており、民衆蜂起や「革命」なるものへの期待、憧憬が決定的に損なわれてしまっている。その過程を古谷は無視している。

日本には民主化運動の成功経験が無いが、そもそも日本で重視されるのは、民衆の力で問題を解決することよりも、適正な法手続きによって改善を図ることである。

民衆の力によって社会を変えるべきだという感覚が薄い日本人には、従来の法的合意を覆すような韓国の態度が全く理解ができない。

「正義」を求めてデモやストを行う韓国民の姿も、日韓両国間の数十年来の法的合意を反故にしてまで、そうした民衆の要求を政治や法に反映させようとする韓国司法や韓国政府の姿も、日本人の目には感情的かつ、暴力的にさえ映るのである。

日本人の多くが、個人の権利より義務を優先し、民衆による社会変革よりも法に従うことを優先する。

そして、司法が「国家統治の基本に関する高度な政治性」に関する判断を避けることが恒常化している。

だから、多くの日本人にとっては、民衆が社会変革を求めて運動を起こすことも理解しがたいし、そうした社会の変革を受けて、韓国政府・司法が対日関係で法解釈を変えていくことも理解しがたい。

こうした日本人の考え方を「三権分立を理解していない」「個人の権利というものを理解していない」「民主主義を理解してない」「民主社会が発展していない」と批判することは簡単だが、日本人と韓国人では社会との距離の取り方がそもそも異なるのだと考えて、妥協点を見つけるほうが生産的であろう。
 

隣人を愛することは難しい

ここまで見てきたように、日韓両国にはどうにも解決しがたい二つの違いがある。
まず、歴史を記憶する韓国人と、歴史を忘れる日本人。

そして、民衆の力で社会変革をさせることに意義を見出す韓国人と、法的手続きによって問題解決を図ることに意義を見出す日本人。
この二つの相違点について日韓両国の民衆が妥協することができなければ、日韓関係が根本的に改善することは無いだろう。

現実に韓国で起こっていることは、党派的な権力闘争であり、朝鮮時代に繰り返えされた「換局」(権力の行ったり来たり)である。検察権力をどちらが握るか、などという点はよく似ている。韓国人はこれを美化して「民衆の力で社会変革」と自己洗脳しているのだ。

問題の根源的な解決のためには、現代韓国の文化・文明の出生の秘密を知ることが必要であろう。
だが、日本に住む韓国人、韓国に住む日本人はこれをやってのけている。

理不尽だと思うこと、おかしいと思うことがあれば「正義」を求めて妥協することなく相手を変えようとするのでも、「自分は知らない」と相手の主張を無視するのでもなく、自分たちが妥協できるギリギリのところで相手の主張を理解し、譲歩しあう。

隣人というのは、どんなに嫌いな相手であっても関わらずに生きていくことはできないが、隣に住んでいるからこそ、ちょっとした騒音やごみの捨て方などで、イライラしてしまう。

だが、ちょっとした騒音やごみの捨て方がおかしいことは、隣人と喧嘩をして完全に決裂し、その家での生活そのものをさらに不便かつ不快にさせるほどの価値があるものなのかどうか、日本人も韓国人もよく考えてみるべきだろう。

古谷有希子 の主張は不十分である__その4


だが、数十年来日韓両国が共有してきた法解釈を韓国司法が変えたという事実も、それを韓国政府が野放しにしている状況も、日本政府にとっては受け入れがたい論理の飛躍である。

日韓基本条約の根底にある植民地支配(韓国併合)に対する法的解釈を覆す、ということは現在の日韓関係の根底を覆す、ということである。

だからこそ、日本側は韓国政府が大法院判決に対して何もしないことを、「国際法に照らしあり得ない判断」として批判しているのだ。

 

だが、韓国内では日本での受け止められ方が単純化されて伝えられ、日本は歴史問題の報復をしていると受け止められてしまっている。
韓国で日本の今回の措置が歴史問題に対する報復と受け止められるのは、韓国が歴史を非常に重視するからに他ならない。「重視」の意味が問題なのだ。歴史的過去への介入であり、一種の洗脳となっている 。韓国人は自戒するべきことがあるはずだ。

しかし、日本はされたことにせよ、したことにせよ、歴史を重く受け止めないし、記憶しない。この認識も間違っている。日本人は歴史の中に存在する「不条理」というものをみつめ、あれこれの「不条理」を包摂しうる存在として自分たち・人間の主体性というものを意識する。日本人の方がより慎重に、より正確に歴史と向き合っている。

たとえば、対米国に関しても、両国民の態度の違いは明らかだ。

韓国国民の対米感情は常に良いわけではなく、在韓米軍が問題を起こすたびに対米感情が悪化する。

そうした国民感情を受けて、韓国政府は地位協定改定のために尽力し続け、今では日米地位協定の日本よりも韓米地位協定の韓国の方が米国に対して優位にある。

一方、日本の場合、在日米軍が問題を起こしても対米感情は悪化しないし、日米地位協定は成立以来、一度も見直しが行われていない。

これが韓国であったらば、どんな理由があったとしても、自国に原爆を投下し数十万人の命を奪った米国を手放しで迎え入れ、どんな理不尽な要求でも呑むということをするとは考えにくい。

したことにせよされたことにせよ歴史を忘れていく日本人にとって、歴史の記憶のための現在の関係を毀損することもいとわない韓国の態度は、日本などどうでもいいと思っていると映る。

日本国内には根強い在日韓国人差別があるし、植民地主義的な「韓国併合は韓国の発展を助けた」という思考をする人も、特に年配層には多い。助けたのではない、自らを手本として、朝鮮社会そのものを作り替えてしまったのだ。これが根本的な問題としてある!

古谷有希子 の主張は不十分である__その3


韓国の人々は、日本の政府要人が慰安婦問題を否定したり、靖国神社に参拝するなどの歴史修正主義的言動を繰り返すことこそ両国関係を不安定にする根源であると考えているようだが、歴史修正主義的思想は日本人全体に広がりつつある。
 今では日本の政治家が歴史修正主義的な発言をしても、厳しく批判する主要メディアなど皆無だし、日本の世論もそうした政治家の発言を大々的に問題視しない。

歴史を記憶しない日本人
信じがたいことだが、終戦記念日はおろか広島・長崎の原爆記念日を知らない日本人も若年世代には少なくない。
たとえば、NHKが実施した18歳と19歳に対する世論調査では14%が終戦記念日を知らない、と回答した。

韓国では日本の歴史の授業が第二次世界大戦や韓国の植民地化について教えていないと信じている人も少なくないようだが、そんなことはない。
そもそも日本の教科書検定は政府による検閲ではなく、客観的に学術上必要な内容が含まれているかどうかの審査なので、現政権の思想に合致しない内容だと合格しない、ということはない。

確かに韓国の歴史の授業における植民地期の取り扱いと比べれば、日本で韓国の植民地化について教える分量は少ないが、第二次世界大戦全体ではそれなりに厚みのある内容を学ぶ。
何より、毎年夏には第二次世界大戦に関するドラマやドキュメンタリーが流れ、原爆記念日に関するニュースや戦争の悲惨さを伝えるドキュメンタリーなども放映される。

だが日本人は、自分たちがしたことも、自分たちがされたことも含めて、歴史を忘れていく。

そして、最近ではそうした戦争に関するドキュメンタリーやドラマもどんどん減っている。

世代を超えて歴史を記憶し続ける韓国人と、歴史を忘れていく日本人では理解しあえないのも当然だ。

歴史を記憶し続ける韓国人は、祖先たちの受けた仕打ちを自分たちの記憶として内面化し、「日本の歴史修正主義と戦う」自国に自分たちを重ねる。

歴史を忘れていく日本人は、日本は国家としての対韓賠償は済ませたという事実だけを今のニュースで知り、「解決済みの問題で韓国に理不尽に責められている」自国に自分たちを重ねる。

経済的損失に対する経済的報復を、歴史問題への報復と捉えてしまう韓国

韓国では今回の日本の措置は歴史問題に関する報復と捉えらえているが、日本政府にとって今回の措置は、歴史問題に関する報復というよりも、徴用工問題における大法院判決によって日本企業の資産が差し押さえられている経済的損失に対する経済的報復という側面が強い。

そもそも、1965年に締結された日韓請求権協定では、両国間の請求権に関する問題は「完全かつ最終的に解決されたこととなる」、「いかなる主張もすることができない」と明記されている。

しかも、請求権協定は日韓基本条約で、1910年の韓国併合が「もはや無効」であることが確認されたうえで締結されている。

日韓両国の政府・司法は数十年間、この立場を共有してきた。

だが、盧武鉉政権下の2005年、韓国政府は請求権協定について「慰安婦」「被爆者」「在サハリン韓国人」について、個人請求権は放棄されていないとして、従来の判断を覆した。

一方で、韓国政府は徴用工について「他の3つとは一緒にできない」「法的には解決済み」としていた。しかも、この決定には当時、廬武鉉政権の高官であった文大統領も関わっている。

それが2018年の大法院判決では、日韓併合は「もはや無効である」というのではなく、「そもそも無効だった」という、韓国内では広く受け止められている主張を採用して、元徴用工への慰謝料請求を認めた。

「もはや無効」と「そもそも無効」
「もはや無効」と「そもそも無効」という両者の間には大きな隔たりがある。

これは、植民地支配が当時の国際法上有効であったのか、当時の国際法上からも無効であったのか、65年に締結された日韓基本条約や請求権協定の根本を覆すほどの解釈の違いである。

つまり、韓国大法院は韓国内で広く受け入れられている植民地支配はそもそも不法だという立場に立って、請求権協定とは関係なく、不法行為の慰謝料を元「徴用工」に支払うべきだ、という論理を適用したのである。

韓国は朝鮮時代の朱子学的党派の「文法」を受け継ぎ、過去の歴史への介入をしているのだ。

これによって、彼らの言説に歪みや自己撞着が起きている。ぼやぼやしていると日本人もそれに巻き込まれていくのである。今日の各種の軋轢の大きな要因となっている。

古谷有希子 の主張は不十分である__その2

古谷氏の文章と、その中にところどころ挿入した私のコメント(紫の部分)を紹介する


日韓関係:互いを敵視してしまうのはなぜなのか
古谷有希子  | ジョージメイソン大学大学院社会学研究科博士課程

2019/9/20()
以前掲載した日韓関係に関する記事を見た韓国のタンジ日報社から、日韓関係について日本の立場を説明する記事を書いてほしいという依頼を受けて、記事を寄稿した。(韓国語原文も筆者が執筆

せっかくなので日本の読者にも読んでもらいたいと思い、ヤフーで日本語版を載せることにした。

日本語に直すにあたって日本向けに少し表現を変えている部分もあるが、ほぼ原文通りである。

(以下、記事本文)

先日、「日韓関係の悪化は長期的には、日本の敗北で終わる」という記事を日本のニュースポータルサイトに寄稿し、日本のみならず韓国の人たちからも大きな反響があった。

私は韓国の専門家でも日韓関係の専門家でもないが、韓国に関する研究に一時携わり、韓国に住んでいたこともあり、現在の日韓関係を深く憂慮している。

上述の記事では、日本政府がいくら歴史修正主義的な「歴史戦」を展開しても、成果を上げることはできないという前提で、なぜ最近の韓国が日本(日本政府、日本人)の神経を逆なでするような行為を取るのか、ということを論じた。

民主化以前と以降の韓国社会が全くの別物であり、独裁政権下で国民に内容を秘匿した状態で結ばれた日韓基本条約をそのまま受け入れることは、現在の韓国の民衆にとって心情的に納得できない部分があること、さらに近年の経済発展が韓国に自信を与え、日本と対等な交渉をしようとしていること、などを論じた

なぜ韓国政府が従来の日韓関係を傷つけるような態度を取り、韓国の人々が「反日」的な行為をするのか、日本の人々が理解できるように客観的に説明したつもりだったが、日本人読者からは「なぜ日本人であるあなたが韓国の立場で語るのか」という拒否反応が多く、たくさんの日本人から「反日的だ」と非難された。

 

最近の日本の「嫌韓」

私は米国に住んでいるので、常に日本社会や日本のメディアに触れているわけではないが、それでもわかるほど、日本の人々は恒常的に嫌韓的なメディア報道に晒され、それを内面化している。

「慰安婦」「徴用工」といった問題の存在自体を全否定するネット右翼のような極端な人たちでなくとも、慰安婦問題や徴用工問題で日本政府はもう少し柔軟な対応をすべきではないかと論じると、「すでに日韓基本条約で補償は済んでいるのだから日本は関係ない」という反応をする人は少なくない。

日韓両国とも、相手国に対する感情はマイナス傾向だ。

言論NPOの実施した第7回日韓共同世論調査によれば、約5割の日本人の回答者の約5割が韓国にマイナスの印象を持っており、その理由で最も多いのが、「歴史問題などで日本を批判し続けるから(52.1%)」である。さらに今年は「徴用工判決(15.2%)」と「レーダー照射(9%)」もマイナス印象の理由の上位であった。

同調査では約5割の韓国人も日本にマイナスの印象を持っており、その理由としては、歴史問題と領土問題(独島)が半数を超えている。とりわけ今年は「韓国を侵略した歴史を正しく反省していない」76.1%と高かった。

こうした反応を見ると、日韓関係が良くなることは今後あるのだろうか、と考えずにはいられない。

ホワイト国除外措置について日本経済産業省が実施したネット世論調査では、98%が賛成を示している。各種報道機関の実施した世論調査でも、五割から七割の回答者が今回のホワイト国除外措置を適切であると考えているという結果が出ている。

日本では韓国などどうでもいい、関わらない方がいい、という論調が台頭しつつある。

韓国では、日本の韓国ホワイト国除外を受けて、「反安部」運動が起こっているが、「嫌韓」が恒常的にあふれかえっている日本の状況は安部政権の責任ではない。

 

むしろ嫌韓的な日本の世論に後押しされているのが安部政権なのであって、安倍政権が積極的に嫌韓を扇動していると考えるのは、日本全体が嫌韓であるとは信じたくない韓国人のナイーブさの表れであろう。

 

一方の韓国でも、日本などどうでもいい、という風潮が広がっている。

日本による韓国のホワイト国除外措置を受けて、韓国も日本を貿易優遇国から除外し、さらにGSOMIA破棄を決定した。

韓国政府の対日強硬策にはGSOMIA破棄決定前に実施された世論調査で約5割の回答者が破棄を支持していたことも影響を与えたはずだ。

ここまでくると、政府レベルでも民間レベルでも両国が手放しの友好関係を築くのはかなり難しいように思われる。

たとえ一時的に友好関係を築いたとしても、日本が歴史修正主義を繰り返し、韓国が歴史問題で怒り続ける限り、両国関係の土台はいつまでも不安定だ。

日本会議が自民族中心主義的傾向が強いことは事実としても、日本人の歴史認識が韓国人よりも誤謬が大きいとはとても言えない。古谷の主張は誤っている。どちらの歴史認識がより正しいのか、という点をはっきりさせなければならない

 

古谷有希子 の主張は不十分である__その1

あちこちのサイトを巡っていたら、古谷有希子 という人の「日韓関係:互いを敵視してしまうのはなぜなのか」という文章が目にとまった。結論的には、彼女は日韓には二つの違いがあるという。

①歴史を記憶する韓国人と、歴史を忘れる日本人。
②民衆の力で社会変革をさせることに意義を見出す韓国人と、法的手続きによって問題解決を図ることに意義を見出す日本人。

ということを主張している。
このような主張は彼女に特有のものではない。同様のものを、何人かの記述の中で見た記憶がある。ある程度、韓国人のうちに、そして韓国通と自覚している日本人の一部に存在しているものなのだろう。
ところで、このような整理は妥当であろうか、本当に客観的といえるのであろうか。
このような記述は印象としては、韓国人の方が、真摯に歴史に向き合い、歴史的な知識を持ち、未来思考で進歩的な漢字を与えるかもしれない。
しかし、このような整理には問題が大きいと思う。はっきりいえば、ほぼ間違いである。このことを韓国人にもわかるように、包括的に証明するべきなのだが、どのような論理的空間を設営するべきかという課題もあり、私には時間が必要である。

とりあえず、関連することを述べる。
A 韓国人は専門的な歴史の勉強を厭う。大学受験の際の社会の受験科目で自国史を選択するものは1割もいなかった。彼らは歴史の知識が乏しい。「金春秋」というのは中国の歴史書にも日本の歴史書にも出てくる名前で、統一新羅の初代・武烈王の本名であり、慶州金氏の始祖なのだが、韓国人は「金春秋」をハングルで記しても、それが人の名であることさえわからない。
韓国の歴史教科書には漢字の固有名が大量に出てくるが、歴史を勉強するためにはまず、漢字を勉強しなければならない。そして固有名詞にはレアな漢字が頻出するから、学生の負担が大きいのだ。
では韓国人はどこから歴史的知見を得るのかといえばそれはドラマであり、雑誌の記事であり、コメンテーターの発言である。そのときどきの、癖のある、フィクションがないまぜになった言説を鵜呑みにするわけで、主体的に実証的に裏をとることなどできないのだ。
その歴史教科書の中で日本に関する記述といえば、大きなウェイトを占めるのは秀吉軍の朝鮮侵攻である。10年間ほどの出来事が近代以前の日本関連記事の半分を占める。
元寇であるとか、朝鮮の太宗・世宗父子の熱心な対日本外交や、そのさなかにおこった応永の外寇などは、ほんの申し訳程度の記述がなされる程度か、あるいは無かったりする。
歴史を選別し、自国にとって有効であると判断したものを肥大化させている。その目的は明確であって、歴史の基調を、善と悪との物語として理解し、自国の倫理的優越性を植え付けることにあるといっても過言ではない。この他、文化的優越の歴史も必要とされているようで、後世の歴史的事象と繋がらない背伸びした説明が多い。
つまり、自民族の倫理的・文化的優越性を信じ込むための道具として「歴史」は扱われている。他方、かつて日本にもそのような偏りはあったが、現在では比較的薄らいだということだ。しかし歴史好きの日本人は相当多い。
「歴史を記憶する韓国人と、歴史を忘れる日本人」という整理は分野を限定し、「歴史とは被害者と加害者の歴史である」という神話の延長上の主張にすぎない

2019年7月24日水曜日

日韓の持続的な関係を保つためには、半島の「ゾンビ」を退治する必要がある


橋下徹氏が、徴用工問題・輸出管理政策でヒートアップする両国の政治と国民感情について自説を展開していました(718日放送のAbemaTV)。


橋下氏、徴用工問題めぐる日韓の応酬に「日本と韓国も、僕と百田尚樹さんのようになればいい」

靖国参拝についての彼と百田尚樹氏のやりとりを例として、どのようにひと段落させるのが望ましいかのイメージを述べました。「プライドをかけて激しく言い合って良い。」面と向かって、さんざんに主張し、そのプロセスを実行したうえで、「そこはわかる、だけどな・・・」っていうように、互いの主張を部分的には理解し合う。その後棚上げできる部分は棚上げしたり、休戦したりできればよい、というわけです。

 かつての日中間の尖閣衝突事件のときの中国の戦術(レアアース輸出停止)と日本の対応の事例などをふまえ、今回、韓国側の対策の予測もあり、感情を昂ぶらせず冷徹な分析をベースにした、バランスのとれた見解だと思います。

つまりは、批判、罵倒、激論はいいけど、不信と憎悪を募らせずに、問題をいかに収束させるかということです。これが「本来の喧嘩の仕方」いうものなのでしょう

その主張の説得力は、百田氏や櫻井よしこ氏たちよりもずっと高いものがあります。

しかし、彼もおそらく分かっていると思いますが、けっしてそうはならない。

残念ながら、そうはならない現実がある。

個人対個人の論争では言葉をやり取りするうちに、相互理解という現象も起こりえますが、政府対政府、国対国の場合では、それは難しい。双方が理論武装し、それぞれ「正義」を称するからです。

理論武装の中身としては、法律論もあれば歴史過程への認識もあります。

橋下氏は「日韓併合と植民地支配の歴史がある以上、歴史認識などでは絶対に一致することはない」と述べています。

これまでの通念として、反日感情の源泉は日本帝国による半島支配(日帝三十六年)によって、半島人のプライドを損傷し、抑圧したことが原因であるとされてきました。この点においては彼も朝日新聞などと大差ありません(日本人として向き合わなければならない事柄のひとつです)。

このため、現代の韓国人は、自分たちは日本人よりも倫理面で優れている(逆にいえば、日本人は攻撃的であり、倫理面で韓国人に劣る)、ということをアピールしたい欲求が強い。これが反日の土壌としてある、という理解です。

ところがしかし、20176月のブログで述べたように、70年後の現在、日帝時代の体験者世代よりも、後の世代の韓国人の方がむしろ反日欲求が強いことが判っています。この認識だけは、両国の識者が共有しています。

つまり、従来の定説の理解では足りないということです。別な要素があるはずです。

ひとつには教育の問題があるでしょう。日帝時代を知らない世代は、教科書に書かれている日帝収奪論を信じて、実際に当時を生きた人々よりも、強い反日感情を持つという現象が生ずると考えられます。

しかし、日帝収奪論(日本は朝鮮の歴史的文化を破壊し、朝鮮を収奪した)ばかりではなく、日帝が朝鮮を近代化した(日本は朝鮮に多くのものをもたらした)という歴史観も韓国にはあります。問題はなぜ日帝収奪論ばかりが教科書で強調されるのか、という点にあります。(中世にさかのぼれば世宗による通信使の往来は、教科書ではほとんど触れられず、他方、秀吉による侵攻が大きくとりあげられている)。つまり偏向した教科書をつくらせている要因が、さらに別に存在していると考えるべきです。

先のブログの中で、わたしは

ここで文化の面での韓国人の自意識の問題を考えてみたい。国民的文化の歴史性、独自性、連続性についてどのような自画像を持ちうるのか、という点である。近現代はナショナリズムの時代とも言われている。そこではそれぞれのネーションが文化的な自画像を持っていることが暗黙のうちに要請されているのではないのだろうか。

と、国民文化の自意識についてふれました。そしてまた

しかし、韓国の場合はどうであろうか。江戸時代には日本からの文化的な影響を遮断すべく理論武装を徹底したが、それが裏目となって、近代化の決定的な時期に、逆に深部に至るまで日本文化を注入されてしまった。そしてこれは取り返しがきかない。いまさら朝鮮時代にもどって、成人女性の往来通行を禁忌することなどできないのである。

このような経緯があるため、現在の韓国人にとって、国民的文化の歴史性、独自性、連続性についての自画像を描くことは気楽な作業ではない。さらに、第2次大戦後しばらく日本と断絶し、反日のスタンスをとって国家をスタートしたことも困難さを増す要因であろう。現在の韓国の生活文化の中でどれが日本由来であり、どれがそうでないのかを明確にする自信は韓国人にはない。

とも書きました。国民文化に関して韓国人の自意識には脆弱性と問題性がある、とみています。つまり要約すると、

  1. 韓国の現代の文化は日本の文化の亜流、ないしは借り物の性格が大きい。
  2. しかし韓国人は絶対にその現実を受け入れることができない。その為に、日本を「戦犯国家」などと罵ることで心的バランスをとろうとする。これが見過ごされがちな反日の真の要因である。

と言えるのではないでしょうか。

ところで韓国人が「その現実を受け入れることができない」のはなぜかと考えてみると、その理由もいくつかありますが、15世紀に発生し、江戸時代まで続いていた、「日本=夷狄(野蛮人)」という半島の俗説が影響を与えている可能性があります。

朝鮮の文人はことある毎に、自らを文明とし日本を倭賊、蛮酋など(非文明)として誹謗してきましたが、そのなごりが今も残っています。昔の朝鮮は江戸時代の日本より「進的」な文明をもっていたと根拠なく信じたり、ウリジナルと呼ばれる、文化起源を詐称するという現象などです。

このような日本夷狄視は、大昔からあった、とか秀吉の朝鮮出兵によって生じたと信じられていましたが、ほんとうのところは、朝鮮出兵より150年前、通信使の歴史の中で発生した、”書記文明の衝突”によって生じたと考えるべきです。

それは日本の影響によって生まれたハングル(諺文)に対する恐れと反発という種から発生した想像の作物というべきものでした。

数百年後の現在、ハングル自体に対する半島人の評価はすっかり反転し、近代の要請としての国民的文化のアイコンとして重要な地位を占めるに至っています。十五世紀に反対上疏文をまとめ世宗に反抗した崔万里たちは現代の半島人の意識の中では国民的敵役になっています。したがって、本当であれば「日本夷狄論」は半島においてもすでに死滅していななければならないのですが、そうなっていません。日本を「倭賊、蛮酋」とみなす言説の期間が長く続いてきたため、そしてその原因が偽装されてきたため「日本夷狄論」の真の起源がどこにあったのかということが忘れ去られてしまったからです。

つまり、元に戻ると

なぜ韓国人(朝鮮人)が国民文化の現実を受け入れることができないかといえば、半島にはゾンビが巣くっていて、受け入れを阻害するからだ。そのゾンビとは15世紀の朝鮮通信使の時代に起こった「書記文明の衝突」により生じた、日本を野蛮とみなすという悪癖であり、代々受け継がれてきた社会的遺伝子である、

という結論にいたるわけです。

いま、このような状況においてこそ、このゾンビを退治したいものです。

現代の反日問題解体につながる知見_朝鮮通信使の歴史(4/4)






7 通信使往来の教訓

一四二八年に始まり一八一一年が最後となった通信使とその返礼の使臣の往来の歴史を振り返れば、当初は活発な渡海があった。世宗の時代には各処からの使者や商人たち正規の訪問者(倭客)が年間千人を超える規模でソウルに滞在していたほどである。しかし、やがて軋轢が発生し、長い中断の後は儀礼的でよそよそしい虚飾の事業へと替わっていった。窓口が対馬藩に一本化された交易は安定的であり、釜山は朝鮮第二の都市にまで発展したが、通信使の往来は経費をかけるほどの意味を失って終了に至ったとみることができるだろう。

この歴史から教訓としなければならない点があるとすれば、それは何であろうか。一つは日本における朝鮮への関心の低さ、この国の内実への理解の不足であり、二つ目は朝鮮側における排外性・閉鎖性ではないだろうか。お互いに自分を中心とし、自己を物差しにして狭い視野で相手をみていた。

たとえば、室町将軍・足利義教は明国との国交回復を意図し、通信使を送り出した世宗に対して明との橋渡しを要請した。しかしこれは最初からむなしい要求であった。そもそも明は臣民である朝鮮の独自外交を認めるような体制ではなく、世宗の通信使は明には無断の秘密外交であったからだ。ハングル反対派の崔万里の上疏文の中には、日本との正規の外交を明に知られたらどうするのか、と世宗を脅している箇所があるくらいである。

そして、そのような関係性を日本は知らなかった。日本は、自国内で生起する事柄に心を奪われるあまり、中国・日本・朝鮮それぞれの間の非対称な関係と現実の支配体制に関する認識が不十分であったと思わざるを得ない。

通信使の歴史では末期にあたる18世紀は日本では古学派や古文辞学派など反朱子学的言説が盛り上がった時代である。日本の文人たちの中には通信使の一行の文人に対して経学論争を仕掛けようとしたものがいたが、相手にしてもらえなかった。当時の朝鮮の儒学は実証的なものとはいえず、また「わが国、百世の讎(あだ)」とみなされていた日本の文人と学友になるなどということは危険なことであった。書物を通じて荻生徂徠や太宰春台の説に影響をうけ、日本を高く評価した丁若鏞などの例外もあったが、それは通信使が終わった後のことである。

19世紀、砲艦外交をテコにして門戸開放要求の強風が吹き荒れる時代に、清国の外交官・黄遵憲は、日本に来た朝鮮の高官に対して一つの構想(『朝鮮策略』)を示した。南下政策をとるロシアに対抗し、朝鮮・中国・日本にアメリカを加えた緩やかな連合をつくろうというものである。

日本と中国、朝鮮間には、新たな友好的関係を模索しうる状況が生まれた。朝鮮王はこの構想を検討してはみたが、しかし国内の文人層の伝統的で強固な反日感情のためにそれを具体化できなかった。長く続いた排外性・閉鎖性はのどに刺さったとげのように、朝鮮自身の西洋近代化への志向に対する障害となっていたのである。

 

8 ナショナリズムの要請としての国民の自画像

通信使の時代と異なり、現代のわれわれは半島の国民国家について、はるかに多くの知識と理解をもっているはずである。多くのニュースや生活文化など多方面の情報にも接している。文化的な距離は縮まっている。しかしながらそうはいっても歴史認識問題をはじめとして、言説の分野での衝突・齟齬が時には深刻なレベルに立ち至っているというのが否定できない現実である。この状態を不思議に感じないほうがおかしい。

通信使の歴史の教訓を応用するならば、相手に対する認識の浅さがあるのではないのか、という恐れが生ずる。韓国に関する日本人の知見は、問題解決のためには、実はまだまだ不充分なのではないのか、必要な部分が伏せられたままではないのかという可能性である。

筆者が感じている一例をあげるならば、現代の韓国人には、自分たちは日本人よりも倫理面で優れている(逆にいえば、日本人は攻撃的であり、倫理面で韓国人に劣る)、ということをアピールしたい欲求が強すぎる、という点である。この欲求が慰安婦問題その他の問題の底流に横たわっているように感じられる。

その原因はなんであろうか、これを単純に説明しようとしてもうまくいかない。これまで一般的には、日本帝国による半島支配(日帝三十六年)によって、半島人のプライドを損傷し、抑圧したことが原因であるとされてきた。日本人として向き合わなければならない事柄である。

ところが、70年後の現在、日帝時代の体験者世代よりも、後の世代の韓国人の方がむしろ反日欲求が強いことが明らかになり、従来の定説の理解では足りないことが判ってきた。多角的な視点が必要となった。

ここで文化の面での韓国人の自意識の問題を考えてみたい。国民的文化の歴史性、独自性、連続性についてどのような自画像を持ちうるのか、という点である。近現代はナショナリズムの時代とも言われている。そこではそれぞれのネーションが文化的な自画像を持っていることが暗黙のうちに要請されているのではないのだろうか。

現在の日本人は幸か不幸か、文化的な自画像を持つことに苦労はない。例えば、明治以前からジャポニスムとして一部の文化がヨーロッパに影響を与えたことなどもありアイデンティティの不安というような問題はない。西洋近代化の時代には費用をかけて各国から講師を招聘し、急速に多くを学んだが、感謝こそすれこの事実を否定しなければならない必要性はない。

しかし、韓国の場合はどうであろうか。江戸時代には日本からの文化的な影響を遮断すべく理論武装を徹底したが、それが裏目となって、近代化の決定的な時期に、逆に深部に至るまで日本文化を注入されてしまった。そしてこれは取り返しがきかない。いまさら朝鮮時代にもどって、成人女性の往来通行を禁忌することなどできないのである。

このような経緯があるため、現在の韓国人にとって、国民的文化の歴史性、独自性、連続性についての自画像を描くことは気楽な作業ではない。さらに、第2次大戦後しばらく日本と断絶し、反日のスタンスをとって国家をスタートしたことも困難さを増す要因であろう。現在の韓国の生活文化の中でどれが日本由来であり、どれがそうでないのかを明確にする自信は韓国人にはない。

 韓国は、70年代~90年代、経済面の急速な発展と同期して日本との往来が活発になるとともに、あれもそうだったかこれもそうかと若者が日本起源の事柄を発見することがあった。日本に対抗して経済強国として名誉ある地位を占めたいと願う韓国人にとって、独自性、連続性のある国民文化を想像することは「近代の要請」として強く意識されるとともに、混乱や苦痛を伴うことでもあった。ここにおいて、倫理面での日本の劣位を想像することは自己防御的な一種の代償行為といえるのではなかろうか。

韓国の文学者ジョ・ヨンイルは次のように言う。

 日本文化に対するとき、韓国人はある既視感(ノスタルジー)に捕らわれます。この錯覚がおこるのは、韓国の近代文化の基層にある日本文化のためです。(略)

韓国人は文化的な面では「容易に」日本人に感嘆するけれども、倫理的な面では「容易に」批判を並べ立てる傾向がある。このような二重の態度は基本的に表現者のアイデンティティを混乱させ・・・

               (ジョ・ヨンイル著「世界文学の構造」2011年)

このような状況を日本人は知らないかあるいは極めて鈍感である。その理由は、文化的な自画像を持つことの困難さを経験していない(あるいは忘れた)国民が我々であることによる。世界的にはむしろ少数派であろう。

このことははたして長所といえるのであろうか、そうともいえない。自己を物差しにして狭い視野で相手をみてしまえば、口当たりはよく、見栄えもよいが真実ではない論理にとらわれてしまう場合がある。つまり間違うのである。

この意味において日本人はまだまだ反省が足りない。

 

9 日本夷狄観の虚構は除かれるべき

 先にも述べたが韓国人の反日を理解するためには多角的な評価をすることが必要である。文化的な自画像を持つことの韓国の苦しみが原因というのはそのひとつにすぎない。

たとえば、政治的な出来事や政治家の言動のつらなり・連鎖の中にその原因を見出す説もあるだろう。一般論だが、平和・友好・人道主義など美辞麗句のレトリックに隠された、政治システムの運動メカニズムの秘密は暴かれるべきである。

また、朝鮮時代の朋党の争いのときの思考の文法、「衛正斥邪」の論理の残滓を一因と考えることも可能だろう。政治的な優位性を追求し、一度でも優位性を獲得したなら、相手を悪としてとことん排除し、それを美化するやり方である。世の中には善と悪としかないという、それだけ聞けば、倫理的で正義的なのだが、善の実践のためなら事実の歪曲も許されるという傾向のある、問題のある文化なのである。いずれにもせよ、多角的な分析と対話が必要だ。


この小論で指摘した事柄の一つは、朝鮮を文明とし、日本を非文明とした言説は、通説とされる、秀吉の朝鮮出兵によって決定づけられたのではなく、朝鮮出兵より150年前、通信使の歴史の中で発生した、”書記文明の衝突”によって生じたということである。

このことを知る日本人は少なく、韓国人においてはなおさらである。伏せられてきた歴史といってよいのではないであろうか。このことが両国において広く認識されれば何かが少しは変わるのではあるまいか。例えば、半島においてあまりに長くあった日本夷狄視の文化に対する評価も変化するのではあるまいか。

もし、韓国人自身が朝鮮時代の日本夷狄視を恥ずることがあれば、それは日本人にとってよいことであると同時に韓国人にとってもよいことであるだろう。

なぜならば、文化的な自画像形成における痛みから解放され、新しく独自文化の創製に向かうことが容易となる可能性が高いからである。

 

2019年6月26日水曜日

「応永の外寇」は怪しい


本日は2019626日だが、じつは、きっちり600年前の14196月に対馬で朝鮮と日本との戦いが行われていた。

日本の歴史では「応永の外寇」とよばれている。

「応永26年李氏朝鮮の大軍が対馬を侵略した事件。日本の海賊集団倭寇に悩まされ、その根拠地とみて来襲したものとされる」(広辞苑)というように理解されている。

 

旧暦、626日は、兵船227艘、総計1万7258人を率いた大将・李従茂が仁位郡に上陸した日となっている。

 

日本と半島の歴史のなかには、いくつかの大規模な武力衝突、戦闘の歴史があった。白村江、元寇、秀吉の侵攻などは広く知られているが、「応永の外寇」は朝鮮が単独・自力で日本に侵攻した唯一の例とされている(広開土王碑文を恣意的に読んだ一部の学者の妄想を除く)。

そういう意味ではもっと広く知られていてもよい。

 

これまで、それほど詳しく調べてはこなかったものの、「応永の外寇」は、おかしなことが多く、もともと、かなり怪しいと思ってきた。

以下の疑問点は岩波文庫「老松堂日本行録」(宋希璟著、村井章介校注)、吉川弘文館「朝鮮人のみた中世日本」(関周一)、その他を参考にしたもの。

 

1 決断が速すぎ、準備期間が短すぎる

倭船50余艘が、忠清道庇仁県の都豆音串を襲い乱暴を働いたのが14195月某日

514日に対馬への出兵が決定された。

612日に1万7258人の兵員と糧秣を載せた兵船227艘(京畿、忠清道、全羅道、各地から動員された)が乃而浦(ネイポ)に集結

 公式記録ではこうなっているものの、このような短期間で、大軍動員の準備と実行が果たして可能だろうか。
   

2 倭寇問題が本質であるなら、室町幕府や九州探題、対馬島主との事前交渉がないのは不自然。豆音串を襲った倭寇の根拠地が対馬であるとの確認さえしていない。

 倭寇対策はまず、外交交渉で問題の解決を図り、それの実があがらないとき、武力を行使するというのが、それまでの常道であり、実際、それで効果をあげてきていた。

 しかも、この時期、室町幕府や九州探題、対馬島主と朝鮮との関係は良好であったにもかかわらず、外交交渉を一切行っていない。


3 隠密作戦のための秘密保持行為が大げさすぎる。

 対馬侵攻に先立って、朝鮮全土で倭客〈正規の来訪者〉や居留民に対する、拉致・抑留作戦が一斉に行われた。逃げ切れず、捕まって抑留された日本人は総計591人、死亡者(殺された者、自殺した者)は136人(「世宗実録」)

 正式の記録の外に、カウントされていない犠牲者もいたわけで、これらを考えると、本番での対馬での戦闘の死者を越えていると思われる。

(対馬においては114の首級をあげ、21人を捕虜にした「世宗実録」

倭寇禁圧が目的ならば、大軍での示威をもって降伏を迫るという方法もあったわけで、(本当に倭寇の侵犯が原因であったなら)秘密保持の必要性はそれほど大きくない。


4 引き揚げまでの期間が短すぎる。

620日に先遣隊が対馬に上陸。

626日に大将・李従茂が上陸

ほどなく停戦し朝鮮軍は撤退。73日には巨済島に戻る

この間、戦闘が一回あった程度で、対馬全域を巡回することもせず、撤収が極めて早い。

この早すぎる撤収の理由として、季節風の問題や糧食の問題を挙げるむきもあるが、それにしても早すぎる。

撤収が早いということは、撤収のための決断も早かったことを意味している。もしかすると、一回戦ったら、成果はどうあれ、すぐ引き上げるということが事前に決まっていた可能性もある。


5 抑留者を長期間とどめおいた理由が不明

世宗・太宗による対馬侵攻は数日間で終わったが、拘留された日本人の帰国はなぜか長引いた。1425年に漢城に赴いた日本国王使が摂津の国兵庫の住人四郎三郎は帰国できたが、その夫人と子供がまだ帰国できていない、と談判している。隠密作戦・秘密保持のための日本人拘留であるとしたら、なぜ長期にわたって拘留しつづけたのかは疑問である。

 

以上のような疑問が残されていることから、「倭寇退治のためであった」という、室町幕府に対する朝鮮王使・宋希璟の釈明(1420年)は、怪しい。怪しすぎると感じられる。

 

もし、宋希璟の釈明を脇によけるとすると、どのような情景が見えるであろうか。


A 明への朝貢を廃止したことへの報復・懲戒・警告説。

明・朝鮮連合の作戦であったという少弐氏からの報告があり、前年追い返した明の使者(宦官・呂淵)が再度来日して、朝貢をうながしたこともあり、一時は流布した説である。

しかし、当の朝鮮がそれを否定したので、この認識は覆った。


B 太宗の対馬への領土的野心が発揮された侵攻説。

   太宗は1419年6月、軍団の出港に先立って、将兵に向けて「対馬はもともと慶林(新羅の王府があったところ)に属していたものである」と激を発した。現地の日本側にも、これは朝鮮が本気で領土拡大を意図した作戦であると理解していたものもいたようだ。


C 明の海禁政策、倭寇対策、他民族排除、への忠誠を示すためのものという可能性

  もともと明の太祖・朱元璋は倭寇と半島人、倭寇と李成桂との提携関係を疑っていた。李成桂の後継者である、太宗、世宗と倭寇との関係を明側が怪しんでいたとしても不思議ではない。世宗への冊封を認めてもらう条件として倭寇攻撃がなされた、という可能性もある。

 

これからも 明の資料などを含めて、より多角的な検討が必要なのではないだろうか。